読めもせぬのに|渡会源一
11|御朱印帳と書体見本
ルドルフⅡ世(1576-1612)という王様がいた。神聖ローマ皇帝であり、即位後はプラハに籠り、世界中の珍品奇品を蒐集して「驚異の部屋」(ヴンダーカマー、あるいはクンストカマー:芸術の部屋)で賓客に見せびらかしたことでも知られる。この王様は、物ばかりではなく人も集めた。言ってしまえば、洋風数奇者なのだ。天文学者のティコ・ブラーエやヨハネス・ケプラー、啓蒙主義の先駆フランシス・ベーコン、画家のアルブレヒト・デューラーやジュゼッペ・アルチンボルド達もその周辺を出入りしていた。デューラーは「黙示録」シリーズで、その後の終末イメージを決定づけ、アルチンボルドの事物コラージュによる肖像作品は、シュルリアリスト等によって高い評価を受けている。冒頭の図はアルチンボルドによるルドルフの肖像である。
日本ではあまり知られていないが、ここではゲオルク(ヨリス)・ホフナーゲル(1542-1600。最近はフーフナーヘルと表記されることが多い)を紹介することにしたい。ホフナーゲルは、ネーデルランド出身の画家で、人文主義者で詩人でもあった人物。彼が多くの写本に施した装飾画、昆虫や花や果物の図像は、テキスト内容とは全く関係のない独立したものとなっており、その自然描写は静物画の嚆矢であるともされている。美術史で公式に最初の静物画とされている作品は、ホフナーゲルの死の直後(1603)に描かれたルーラント・サヴェリーによる作品だが、そこにはホフナーゲルの影響が色濃く現れている。
ゲオルク・ホフナーゲル(Joris Hoefnagel、 Georg Hufnagel)
中世後期のヨーロッパでは、宗教者の間で巡礼がちょっとしたブームになる。聖地や寺院をめぐる巡礼に際しては、時祷書(祈祷文や詩編を集成した装飾写本)が必携だった。そして時祷書は、巡礼者が訪れた場所で入手した祈念図やバッヂを挟み込むバインダーでもあった。もっと単純ではあるが、日本の朱印帳に対応するものかもしれない。
やがて、当初からバッヂや草花やコイン等が描き込まれた時祷書が誕生する。いわゆる騙し絵(トロンプ・ルイユ)写本だ。ホフナーゲルはその名手の一人であったようだ。その手の写本制作の集大成が、神聖ローマ皇帝秘書でカリグラファーのゲオルグ・ボスクカイによる字体見本帳『ミラ・カリグラフィアエ・モヌメンタ Mira calligraphiae monumenta』である。
この稿本のテキストは1560年代に書かれたもので、様々な種類の書体のモデル・ブックであり、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語をはじめ、多様で奇妙な書体が収録され、ハプスブルク皇帝フェルディナントⅠ世に献呈された。さらに1594年から96年の間に、ホフナーゲルがフェルディナントの後継者でもあるルドルフのためにこの稿本を完成させている。ホフナーゲルは、植物や昆虫等をまるで稿本の頁上に実際に置かれた三次元の物体のように描き込んだばかりではなく、至る所で植物の茎が紙面を突き抜け、その突き抜けた部分が裏側の頁に姿を現すような描き方をしており、写本装飾における自然主義的表現の最高峰と呼ばれるに相応しい一冊になっている。
以下『ミラ・カリグラフィアエ・モヌメンタ Mira calligraphiae monumenta』より
以下『ミラ・カリグラフィアエ・モヌメンタ Mira calligraphiae monumenta』巻末の「装飾アルファベット」
渡会源一(わたらいげんいち)
東京都武蔵野市出身。某財団法人勤務のかたわら、家業の古書店で店員見習い中。
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