読めもせぬのに|渡会源一


6|蛸烏賊問答


クラーケンという怪物がいる。大海蛇のシーサーペントと並ぶ、西洋の海の大怪物である。「まるで島のようで、周囲に魚群が集まるため、クラーケンの上に着地して漁労が行える」という程のスケールだ。
今も昔も、海洋は宇宙と共に未知の世界であるから、海洋の巨大生物についての記録は洋の東西を問わず数多ある。白髪三千丈の国、中国には長さ数百里の「鰌魚(ゆうぎょ)」(『夷堅志』)がいるし、日本では「背ノ広キコト方六七十丈」の「アカヱイ」(『三国通覧図説』)が記録されており、『東遊記後編』にも春に南海に行き秋に戻って来る全長二里から三里もあるアイヌの巨大魚「オキナ」が登場する。

クラーケンは大鯨とも巨大ロブスターともされてきたが、フランスの軟体動物学者ドニ=モンフォール(1766–1820)によって大蛸に同定された。モンフォールは巨大な海洋生物に襲われたとされる艦船に残された、所謂「鴉トンビ」(顎板)を大蛸のものとしたのである。現在ではこの「鴉トンビ」は、実在の大烏賊ダイオウイカのものだったとされている。ダイオウイカは全長18メートルに及び、確認されているものでは最大の頭足類であり、テレビ番組のドキュメンタリー映像でご覧になった方も少なくないだろう。一方の蛸は、ミズダコの体長9メートルが最大記録であり、なかなかの迫力ではあるが、大きさでは烏賊に水をあけられている。
しかし永らく巨大蛸の存在は信じられ続け、博物学者ビュフォン(1707-1788)による実在の生物を網羅した大図鑑『一般と個別の博物誌』にも、モンフォールによる図(冒頭の図)がそのまま掲載されている。

こちらはチャールズ・フレデリック『動物の驚異』(1885)に描かれたダイオウイカ

烏賊と蛸、大きささえ問わなければ、どちらもさほど珍しい生き物ではない。寿司ネタの代表でもある。なのになぜかその「怪物性」や「物語性」は蛸の方に付与されることが多い。その坊主頭のせいだろうか。国内の記録に限るが、ざっと調べてみると、「泉州岸和田の海辺に、蛸の背に乗って地蔵が現れた」(建武年間[1334–1338])、「越後で石の六地蔵から出て来た四、五尺ほどの蛇を追いかけると、蛇は海に逃げ、目の前で七本足の蛸に化した」(『兎園小説』文化9年[1812]の記録)などというものもある。そもそも蛇が蛸になるのは、それほど珍しい現象とは考えられていなかったようで、『閑田耕筆』や『世事百談』、『想山著聞奇集』にもその記述がある。

『想山著聞奇集』(1850)の七本足の蛸


また日本全国の物産を紹介した『日本山海名産図会』では、「越中滑川の大蛸は牛馬を取り喰い、漁舟を引っくり返して人を捕る……この大蛸の吸盤を一つ食べると一日の食事に足りる」とあり、なかなか具体的である。

『日本山海名産図会』(1799)の滑川の大蛸

少々ギネスブックめいた『(和漢)古今角偉談』(1785)にも、巨大蛸が取り上げられている。タイトルの「角偉」は、巨大なものを挙げて競うことを意味する。
烏賊の方の記録は、「江の島沖で大烏賊(おそらくダイオウイカ)が引き上げられた」(『諸国里人談』享保15年[1730]の記録)というものくらいだ。何だか少々、烏賊が可哀想にも思えてくる。ついつい深海でマッコウクジラと格闘し、挙げ句の果てにその餌食になってしまうダイオウイカの孤独を、あらためて嚙みしめてしまう。蛸焼もいいけれど、烏賊索麺も捨てがたいのである。

ここでは、御負けとして『古今角偉談』に取り上げられた巨大生物をいくつか紹介しておく。

「大鼠」、「大蛸」、「大魚」(鯨)、「大蛤」(蜃)、「大足跡」(ダイダラボッチの足跡)

 

渡会源一(わたらいげんいち)

東京都武蔵野市出身。某財団法人勤務のかたわら、家業の古書店で店員見習い中。


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