やるまいぞ、やるまいぞ|遠藤利男


1|何もない空間から


 1968年「一人の人間が何もない空間を歩いて横切る。もう一人の誰かがそれを見つめる。それだけで、演劇が立ち上がる」とピーター・ブルックは言い、世界の演劇空間に大変革をもたらした。その後彼は、1973年、ロイヤル・シェイクスピア劇団を率い来日、真っ白の舞台空間に全員真白の布をまとった役者を登場させ「真夏の夜の夢」を演出、日本演劇にさらに深い影響を与えた。
 しかし日本では、15世紀の初めには、何もない空間に演者が一人歩み出ることで、そこを劇的空間に変える「猿楽の能」は全盛期にはいり、世阿弥は『風姿花伝』を残した。また同じ猿楽で、「これは、このあたりに住まいいたすものでござる」と一人出て名乗ることから始まる即興劇の狂言は、即興のまま、「このあたり」とは何処だと誰も問うこともなく、「笑い・おかし」を進化させていた。
 そして1970年代、リアリズム演劇からの脱出をめざしていた現代日本演劇人は、ブルックの発想にいち早く親和感を持ち、舞台表現のトライを次々とし、多様な小劇場を立ち上げた。それは中世からの底流があったからだと、私は思っている。
 さて、「狂言」について語ろう。
 この「閏」の読者で「やるまいぞ、やるまいぞ」というタイトルを見て、「ああ『狂言』だな」、と直ぐに分かる人はどれほどいるだろう、ましてや、悪事の結果「ああ、許させられい、許させられい」と逃げる従者・太郎冠者を「やるまいぞ、やるまいぞ」と追い込んで行く主(あるじ)の姿を思い浮かべ、「日本の中世の『漫画』だな」と微笑する人は更に少ないのではないか。だからこそ私は、「世界無形文化遺産」である「狂言」を、日本の古典芸能の域にとどまらせず、現代の演劇・世界の演劇としての魅力を掘り起こして語ろうと思っている。
 読者の皆さんが中学生時代の教科書で、「狂言」を学んでいるのは確かだ。学校への巡回公演や、幸運ならば能楽堂の舞台を見ているかも知れない。教科書には「附子(ぶす)」「柿山伏」の掲載が多いという。
 そこで、「附子」の「あらすじ」を思い起こしてみよう。
 主(あるじ)は、独り密かに楽しんでいる高価な砂糖を、留守中、太郎冠者・次郎冠者に盗み食いされないように、「この壺に入っているものは、附子といってとんでもない毒だ、その風に当ってさえ死んでしまう。用心して守れ」と言って出かける。禁じられて逆に好奇心が刺激された留守居の二人は、壺の中を見たくなり、毒から吹く風を扇で懸命に煽ぎ散らしながら、壺に近づき、蓋を開けると、中には、黒いどろんとしたものがある。好奇心は止められない。太郎冠者は、それを舐めてしまう。これは何と、今まで食べたことのない甘いものだ。砂糖というものらしい。二人はその砂糖=附子を奪い合って食べてしまう。食べてしまって二人は、主への言い訳を考える。そして傍にあった、主が大切にしている掛け軸・置物を壊してしまう。主の大切な宝を壊したのだから、「毒を食べて死んで詫びようとしたが、食べても食べても、死にきれない」と、主に言い訳するためだ。二人は帰ってきた主に泣きながら訴える。主は怒る。主の富と快楽の独占欲と、冠者の死を賭してまでに暴発する欲望との葛藤である。太郎・次郎冠者は「ああ、許させられい」と逃げる。主は怒りながら「やるまいぞ、やるまいぞ」と二人を追い込む。
 これは「逃がすまいぞ、逃がすまいぞ」という意味の、「主従ものの狂言」で終幕するとき、パターンのようによく使われる言葉の一つである。
 私は終幕で、この言葉を聞くと、「狂言」の本質の一つに出会ったと感じる。問題の決着がついたわけではなく、問題を取り逃がし続ける。富と快楽の独り占めは続き、欲望の暴発はコントロールできず、次の危機を生み出し、それが循環するように続くことを予感させる。解決なしの宙づりの持続である。
 読者は既にお分かりのように、私は、この14世紀から17世紀にかけて生成した日本独自の「笑い・おかし」の芸能の宝庫「狂言」の楽しさ深さを、現代の眼差しという補助線で、語り直したいと思っている。
 ただし、私は狂言師ではないから、芸談ではない。また、能楽研究者でも歴史学者でもないから論文でもない。多くの舞台を観て、多くの研究書を読み、三十年以上に亘って自身の身体で狂言に親しみ、それを他者に晒してきた人間の、心に積もった、狂言への「讃」になればと思っている。

 
 

遠藤利男(えんどう としお)

1931年、東京出身。NHKでディレクター、プロデューサーとして、数々のラジオやテレビのドラマ制作に携わったのち、NHK理事・放送総局長、NHKエンタープライズ社長を歴任。元日本エッセイストクラブ理事長。