書架の園丁
橋本麻里(はしもとまり)
日本美術を主な領域とするライター、エディタ ー。公益財団法人永青文庫副館長。金沢工業大学客員教授。新聞、雑誌への寄稿のほか、NHKの美術番組などを中心に、日本美術の楽しく、わかりやすい解説にも定評がある。多くの展覧会企画を手掛ける中、著書には「かざる日本」(岩波書店)など多数。
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感染症の世界的流行が始まる直前、2019年も残すところあと10日、というあたりで、生まれ育った鎌倉に近い、海の近くの町に移り住んだ。それぞれ住まいを蔵書に圧迫される二人が暮らす家、ということで、建物の機能は一に蔵書の収納を旨としており、人間はその片隅に間借りして寝起きする、程度の存在感しかない。
蔵書量は現状4 〜5万冊程度だろうか。伴侶は1カ月に平均200冊の本を購入する人間なので、はっきり目に見える速度で書架が埋まりつつある。そんな家を、戯れに《森の図書館》と名づけた。山裾にあって、木々に埋もれそうな場所に建っていること、そして書物の集まりがあたかも森のように感じられることからの命名だ。
この家は収蔵量より、まず開架であることを優先して設計してもらった。住人にとっては常に、書物の背が見えていることが何より重要だからだ。ゆるやかなジャンルごとの分類がなされた書架には、日々新しい書物が加わっていく。同時に、見境のない文筆を生業とする二人の関心や調べものの対象も、常に移ろっている。
たとえば世界史の書架に並んでいたA、Bという本の間に、Cという本が差し込まれた途端、その棚の景色ががらりと変わり、関心に指向性が生まれて、それまで食指の伸びなかったDやEなどの本を買い足したくなる。あるいは毎日毎晩、回遊するようにその前を行き来する書架に並んだ本を、見るともなく見ているうちに、その時抱えている書きもののテーマに、依頼を引き受けたときはまったく想像もしなかった糸口を思いついたりもする。
そんなふうに書物と暮らしていると、図書館というよりむしろ、自律的に生成し変化する生態系のように思えてくるのだ。鳥が運んできた種がいつの間にか芽吹き、植えた覚えのない木が生えている。その木に咲いた花が、新顔の蜂を呼び寄せる。蜂の身体についてきた花粉が、また別の花の蕊で受粉している……。
巨大な知識の体系を形づくる精妙なピースとしての本はしかし、ジグソーパズルのように決まった場所を埋めるだけのものではない。たまさか隣り合った他のピースと化学変化を起こし、読む者のシナプスに火花を撃ち込んでくる。我々住人はその生態系が豊かに変化し続けるよう、雑草を抜き、支柱を立て、水をやり、と最低限の手入れをする園丁のようなものだ。
本を読むということは、その庭から切ってきた一本の花を生けるような行為で、常に変化に目を凝らしながら庭を行き来する園丁の時間にも、豊饒な収穫がある。園丁というより樵夫ではないかという気もしているが(「森」の図書館だけに)、このコラムではそんな庭の折々の風景を書き綴ってみたい。