川で猿投を拾う|橘 岳


1|花崗岩の川


猿投平瓶 平安時代(9世紀)

 その川の上流には花崗岩の山が連なっている。そう高い山があるわけではないけれど、いざその中に分け入ると、山は深く、時には進退きわまって途方に暮れてしまうこともある。山とはそういうものなのかもしれない。
 火成岩はマグマ由来の岩石。特に花崗岩のようにマグマが深所でゆっくりと冷え固まったものは深成岩と総称される。ゆっくり固まったためなのか、長石や石英、黒雲母の比較的大きな結晶を、肉眼でも容易に観察することができる。田舎で家庭教師をしていると、どんな科目でも教えなければならないので、中学地学の中途半端な知識は僕にもある。ただそういう知識とは別にそんな花崗岩地帯に住んでいると、よいことも恐ろしいことも含め、様々なことをこの岩石から教えられることになる。
 まずこの辺りの畑は白く、土というよりもまるで砂のようである。風化した花崗岩(真砂とか砂婆と呼ばれている)が堆積しているからで、ローム層のカボチャを煮しめたような色の土に慣れている関東育ちの僕には、ちょっとした驚きだった。
 山はおおむね急峻な痩せ山で、薄い土壌からは岩体や白砂が顔を覗かせている。尾根筋にはアカマツやドングリが実るナラの仲間、少し下るとヤマザクラの木も多く見ることができる。ナラの淡い銀色がかった芽吹きとヤマザクラの開花が重なる春は、このあたりの山がいちばん美しい時期である。秋にはマツタケやホンシメジ、コウタケといったキノコを採ることができるし、勇気を出して(熊がいるし山自体が深いから)里山を超えて深山の原生林を目指せば、樹齢数百年のミズナラの株元にキノコの王者とも呼ばれる天然のマイタケを見つけることも出来る。

マイタケの森のミズナラ巨木

花崗岩の山から流れる出る沢や渓が美しいのは、その白砂ゆえである。木漏れ日が差せば優しく、深みを帯びた川床では上品な青磁のように薄く青く輝く。しかしこの白砂こそ、治山、治水の進んだ現在でもなお、大規模土砂災害の元凶となっていることは、この地域で暮らす人間には忘れてはならないことの一つである。

風化花崗岩からなる白砂

 この連載では、川と考古遺物のことを書くつもりなのだが、ついつい岩石や砂、山やキノコの話が長くなってしまった。考古遺物の宝探し的興奮もよいけれど、僕の最近の興味対象である風土という、少し広い視点からも物事を眺めてみたいと思ったのだ。
 そういうわけで砂と沢を語った後に、ようやく川に辿り着くことができる。この川は歴史上多くの氾濫を起こした砂河川として知られている。このような河川を指す言葉に「天井川」がある。それは堤を築いても、上流からの砂の流入が多く、河床がせり上がり続け、やがては越水してしまうという、そんな川のことだ。越水した水は、周囲の人間の生活をその遺物もろとも河床へと引きずり込んでしまう。ひとたび遺物を引き入れると、白砂は再び堆積を始め、今度はタイムカプセルのようにそれらを半永久的に閉じ込め、守り続けることになる。
 川で出会う人たちは老若男女様々だけれど(古い人は何十年ものキャリアが)、ベテランともなるとどこか天狗のようなおもむきがあって、何故この川に遺物が眠るのかについて、それぞれに一家言があるようだ。曰く、「焼き物をたくさん載せた舟が転覆したのだ」、「ここは交通の要衝で市が立っていたのだ」、「川辺では古代から儀式が行われていた」、そして洪水説、などなど。そういえば「川の中に窯がある」っていう意見もあった。窯はちょっと無理かなとは思うけれど、ほかの説はいずれも有力だ。ただ僕にはどうしても花崗岩が風化してできた砂が、この川に魔法をかけているように思えてならない。実際に遺物探しに慣れた人ほど砂の動きに敏感で、目と、足が河床を踏む感覚(砂の締まり具合)で、遺物を探し当てているように見えるのだ。遺物はいつも砂と隠れんぼしている。
 これまで多くの時の為政者たちは、この暴れ川の治水を試みたが、大きな転機が訪れたのは現代になってからだと思う。上流にいくつものダムがつくられて、砂の自然な運搬が妨げられるようになり、下流へと運ばれるはずの砂はダム湖の底に貯められてゆく。さらに高度経済成長による建材需要の高まりが、川砂の大量採掘へと繋がった。川砂の収支のバランスは、堆積から浸食の側へと天秤を傾けることになり、かつての天井川の河床は下がり続けた。そして砂は少しずつ洗い流され、遺物はいつか再び姿を現す。古いものでは数千年の昔、縄文の遺物が光の世界によみがえるのだ。
 地上では開発によって、たくさんの遺跡が潰され遺物が露わとなった。一方、川はゆっくりと河床を下げながら少しずつ流路を変え、川自身のリズムで遺物を吐き出し続けている。
 以上は一つの仮説にすぎないし、僕自身、この仮説によって自分の経験したことのすべてを説明できると思ってはいない。川は太古から現在まで、実に信じられないほど多くのものを呑み込んで、今日も休むことなく河床を削り砂を運び、自分の仕事をしている。川は常に変わり続ける。そして僕らは川に通い続けることになる。

*河川で採集された遺物、特に希少性、重要性の高いと思われるものに関しては、当該研究機関、および専門研究者の下へ届け出、研究資料として活用いただいています。

 
 

橘 岳(たちばな がく)

1978年生まれ、千葉県出身。一橋大学卒。冬は山で木を伐り春には薪を作り、夏は休み秋はキノコを採る。川歩きは一年中行う。