旬画詩抄


佃 一輝(つくだいっき)

一茶庵宗家。著書に『文人茶粋抄』『煎茶の旅〜文人の足跡を訪ねて』『おいしいお茶9つの秘伝』『茶と日本人』(2022年3月新刊)などがある。


1|柳 旅立ち


 

青青たる春の柳 家園(みその)に種(うゆ)るなかれ
交(まじわ)りは 軽薄の人と結ぶなかれ

 『雨月物語』の「菊花の契り」はこう始まる。いきなり「なかれ」二つを対句のように並べてある。だがさて「柳は庭に植えるな」と「いい加減な人とは付き合うな」との並列関係を理解できる現代人は、そう多くありそうにない。文脈から想像できるのは、「柳」が「軽薄」を意味するアレゴリーのように用いられていること。そういえばと、ご年配の方なら「土手の柳は風まかせ 好きなあの子は口まかせ ええしょんがいな」と歌う映画スター高田浩吉を思い出されるかも知れない。風まかせになびく柳のように、あの子も口から出まかせ、いろんな男になびいていく、と「軽薄」というか「不実」なあの子を嘆く男歌。あの子はもちろんあの女で、柳は不実な女に見立てられている。古来およそ不実は男で、なじるのは女と相場がきまっているのに、女の不実を柳に例えてなじる男というシチュエーションは、なかなかにふるっている。

 柳が女性をあらわすのは、柳腰や柳眉などの言葉があるのでご承知の通り、いずれも美人を示している。だから柳と歌って、好きなあの子と続けば、あの子は美人に違いない。すると「青青たる春の柳」は、みずみずしく若く美しい女、ということになろうか。「家園に種るなかれ」とは、結婚しないほうがいい、と読める。そこでこの二行は、美人とは一緒になるなという比喩である。
 と、こんな解釈のレポートが提出されれば、まずは「不可」を付けられることになるわけだが、思わず「優」にしたくもなるというものだ。
 私の恩師は「牡丹散ってうち重なりぬ二三へん」という蕪村の句の「へん」を「ぺん」と読むか「べん」と読むかで、大いに意味が違ってしまうことを説かれた。「へん」ならば「片」で、花びらのひとひら、ふたひら。「べん」ならば「遍」で、度数、回数。すなわち、
 なかなか相手にしてくれなかった牡丹太夫を、ようやく口説きおとして、うち重なりぬ
となって、ここに書く話題にはいささか相応しからざることになる。
 柳を不実な女としてこの二行を読むのは、べんと読むような、含蓄はあるがおそらくは正しくない読み方なのだろう。

 柳は古く、河辺に植えられたものだ。河原の柳。ことに春風に早緑の芽を伸ばして、明るい陽射しの川面に枝垂れ映えるさまは、なまめくほどに美しい。

打上佐保能河原之青柳者 今者春部登成尓鶏類鴨
うちのぼる佐保の河原の青柳は 今は春べとなりにけるかも
大伴坂上郎女(『万葉集』 1433)

 奈良の都は佐保川の岸辺に連なる柳は、健康(建業)と呼ばれた六朝の都(今の南京)や、隋の都の洛陽、さらには唐の都長安(今の西安)などへのオマージュにつながり、梅、杏、桃などの花とこもごもに華やかで絵画的な画像を繰り広げてくれる。面白いのは「なりにけるかも」の万葉仮名で、ここでの「かも」は「鴨」と書いている。「加母」とか「可聞」とか書くことも多いなか、わざわざ「鴨」を使うのは、もちろん川だからだ。仮名遣いのお洒落。しかも鴨は、春にはシベリアに旅立つ。柳の美しい春は、鴨や雁が北に帰る旅立ちの時でもある。
 そして人も、春は旅立ちの季だ。隋以後の官僚選抜試験の最終合格発表は、牡丹の花さく頃。柳が青青と茂る濃春の頃だ。赴任地が決まり、意気揚々と旅立つ者、失意に故郷に帰る者、僻地に左遷される者。悲喜こもごもの旅立ちは、川から舟に乗って向かうことも多かった。ちょうど鴨のように、河辺からの出発だ。そしてかその河辺には、春風に柳がなびいている。旅立つ人を送る友や恋人は、その柳のひと枝を手折って、行く人の髪に挿したという。髪に挿すことを「かざす」といい、手折ることを「折楊柳」と呼ぶ。
 なぜ柳をかざすのかといえば、柳は殺菌作用のある木だからだ。柳は枝垂れで、楊は雲竜柳や石化柳、ポプラのような、枝垂れないタイプのやなぎ。どちらにしても殺菌力がある。だから楊枝が「つまようじ」になって歯口に用いるし、柳行李を覚えている方もあろう。衣類を入れても虫がつかない。病気をしないように、という旅立ちの挨拶なのだ。恋人ならば、虫がつかないとは、他の女が出来ないように、とのおまじないということだ。すると旅立ちには柳がつきものとなって、柳と言えば旅立ちが連想されるようになる。「今は春べとなりにけるかも」という詠嘆には、春になった喜びに、密かに旅立ちの思いがあるのかも知れない。

花光濃爛柳軽明 酌酒花前送我行 我亦且如常日酔 莫教弦管作離聲
花光濃爛 柳は軽く明るし 花前に酒を酌んで我の行くを送る
我またしばらく常の日の如く酔はん 弦管をして離聲をなさしむるなかれ

 北宋の大文人、欧陽脩の詩だ。濃春の光の中に柳が軽やかに春風に吹かれ、友たちが私の旅立ちに宴を開いてくれる。いつものように楽しく酔っぱらおう。別れの音楽なんかは奏でないでおくれ……。

旅立ち、そして別れの悲しみをじっと抑え込んで、普段通りに楽しく汲み交わそうとする酒。もしここで別れの曲などが奏でられようものなら、抑え込んだ悲しみが一挙にあふれ出そうなのだ。旅立ちにともなう別離の悲しみを含んで、しかも明るく軽やかに歌い上げる。確かに旅立ちは、いっぽうでは別れを伴うもの。柳はまた別れの悲哀を含むのだ。

 

 さて『雨月物語』「菊花の契り」の冒頭にもどろうか。「春の柳は別れの悲しみを含むもの、庭に植えてはいけません。軽薄な人と交わってはいけません」。おそらくこう読むのが良いようだ。するとこの物語は、軽薄な人との交わって傷つく、別れの話なのかと、読者は読み始めるとすぐに想像をめぐらせることになる。そして読みすすめるうち、軽薄な人は誰なのか、ずっとドキドキが続く。そして結尾で、見事に読みは裏切られる。柳は旅立ちと別離の悲しみを象徴して、むしろ軽薄と対峙するのだ。

 さてこうして柳が出てくれば、旅立ち、別れ。中国や日本の古典文学や美術の柳は、あたかも春の河辺の風景描写のようにみせて、旅立ちと別れを潜ませているのだ。
 ところで『雨月物語』の作者上田秋成の親友といえば与謝蕪村。その蕪村には、柳を使って旅立ちと別れ、それに女をも読みこむ名作「澱河歌」がある。
 京と大坂を結ぶ淀川。大坂へと旅立つ男に、一緒に行こうと誘われても遊女の身、行くことが出来ぬ別れの悲しみ。

君は水上の梅のごとし花水に 浮かびて急(すみや)カ也
妾は江頭の柳のごとし影水に 沈みてしたがふことあたはず

男は川水の上に散った梅の花びら。あっというまに流れていく。私は河辺の柳。苦界に沈んで、あなたと一緒にいくことは出来ないの。