旬画詩抄|佃 一輝
8|「卯」 日が昇る。そして扉を開ける
ウサギ年が始まった。もっとも旧暦の干支なのだから旧正月、春節からが正しいと言うべきだろう。今年のウサギは1月22日からということになる。新暦と旧暦と、それに実際の季節感と。「旬画」と名付けたこのエッセイ、実に便利に伸縮する。「初春のお慶び」と常套句を連ねても、理屈でいえば立春からの「春」なのだから、充分に2月でも「旬」と強弁出来るわけだ。ともあれウサギの新春は、そろそろ始まるころとなる。
さてそのウサギ年は、日の出の絵からはじめようか。日が昇り周囲を明けにそめる刻々のさまは、日々のことであるはずなのに神秘的なものだ。まして新しい年の夜明けとなれば、冷たく澄んだ空気に清明な光がみちてくるときは、神聖な思いにとらわれる。
高橋竹年描くこの細長い軸の作品は、太陽の頭半分ほどだけを描き、まさに日の出なのだが、周到にどこまでも広がる光を感じさせる。所も時も定めずに、ただ神々しい気が発する時空を描く。表具の揉み紙の青が、また上手く広がりと明るさを添えている。
ウサギ年に日の出から始めるのは理由がある。そのウサギ年、本来の表記は「卯年」だ。実は「卯」とウサギ、あまり関係はない。そもそも十二支を動物にあてたのは紀元前の漢時代からだろう。子丑寅卯…と漢字表記を続けてみても、もともと動物を表す文字ではない。十二支と動物が重ねられた後で、寅は虎、辰は龍になっただけだ。では「卯」とは何か。
だがそも十二支とは何んぞや、から考えねばなるまい。話しは長くて壮大で、そして分からぬ時空論となるはずだから、理解は棚上げに、かいつまんで書くしかない。まずは「無」から陰陽+−が生まれ、宇宙、すなわち時空が生成される。生成をつかさどる5つの何かが生まれて、それは木火土金水と名付けられて…ということになる。五行と呼ぶこの5つの何かをクォークと考えるのか、重力や電磁力などの根源的なパワーと考えるのかしていくと、ちょっと現代の物理学、宇宙論に近似する。
実態は見つけぬままに、兎も角も時間も空間も、その5つからそれぞれ2つの幹が形成されると古代東アジア人は想像した。木に兄弟、火にも兄弟、土にも兄弟…。5つ(五行)それぞれに兄と弟の2つの幹だから10の幹(十干)が出来上がる。木の兄が「きのえ」で「甲」と表記する。木の弟を「きのと」と呼び「乙」とし、火の兄が「ひのえ丙」以下「ひのと丁」「つちのえ戊」「つちのと己」「かのえ庚」「かのと辛」「みずのえ壬」「みずのと癸」。
この10の幹にひとつづつ枝が出るが、枝は幹より二つ多くて12。12の枝で十二支。「きのえ甲」に「ね子ネズミ」の枝が生えて「甲子」。そこから始めて10番目の「みずのととり 癸酉」までくれば次は十干最初の「甲」と十二支11番目の「いぬ戌」が対応して「甲戌」、次は「乙亥」。そして次の「丙」は十二支最初の「子」と対応して「丙子」と続く。すると甲子から甲子に戻るのは60回目になるから、60でひとサイクルというわけだ。六十進法。六十才を還暦というのも、暦ひとサイクルということだ。つまり、時空は60を周期に循環していると考えているのだ。時間は→のベクトルにひたすら進み、2023と足し算していく考え方とは全く違うのだ。
ところでもう一枚、小野素文の描く「海濤萬里」という色紙作品をご覧いただこうか。大海原の、これも日の出だ。太陽を描かず、夜明けの光をうける波濤だけを描く。これも見事に広大な黎明を表現している。どこまでも広がる海。しかもどこかに繋がっている海。丸い地球とそれを囲む大気と、天と地と、SDGsそのものの循環の世界。そして日の出という時間も、また廻っている。
ならば人ひとりの一生では経験出来ない時の流れも、やはり廻るのではないかとするのが干支というわけだ。その最も短いサイクルが六十。ならば60ごとにめぐってくる「卯」は何を意味するのか。
「卯」は訓読みすれば「う」だけれど、音読みすれば「ぼう」。「冒」と音も意味も通じる、とするのが『説文解字』という紀元二世紀成立の最古の漢字字典の説だ。「万物は地を冒(おかし)て出ず。門を開くに象(かた)どる」と説明する。確かに「卯」は、二本の柱につけられた扉を開ききった形をしている。「卯」は「門を開いて出でる」のだ。
その開いた門から太陽が出る。日の出だ。だから「卯」の方角は東。時刻の「卯の刻」は午前5時から7時の間を指す。およそ一年の夜明けの時間がこの「卯の刻」にはまる。「卯の年」の初めての「旬画」を日の出にした理由がようやくお分かりいただけたろうか。ちなみに正月ならば、屠蘇のみならず朝から酒は付き物だろう。朝酒は「卯酒(ぼうしゅ)」。もちろん一年中いつでも夜明けと共に「卯酒」することはある。宋の王安石は「寄謝師直」という詩に
黄金酌卯酒 黄金 卯酒くみ
白髪對春風 白髪 春風に對す
という。金色に輝く朝日を受けて朝酒を呑むのだ。まことに卯の年の卯の刻は「卯酒」がふさわしかろう。もっとも普通は「酒」は「酉」の刻、夕方の5時から7時に始めるのがよろしかろう。酒を呑む時なので酉の刻。酉年ならば一年中酒浸りと相なる。
日出雞人徐唱卯
日出でて雞人おもむろに卯を唱し
雪消風伯為驅寒
雪消え風伯寒を驅り為せり
蘇州の文徴明が僅かな期間、嘉靖帝の翰林院に召されて北京紫禁城にいる正月に書いた詩「元旦朝賀」の一節だ。雞人が「唱卯」するというのは、要するに夜明けとともに宮中参賀の始まりを役人が告げるということ。風伯が驅寒を為すとは、風の神が寒さを吹き飛ばしてくれるというのだ。もちろん御代の正月を言葉で祝う「ことほぎ(言祝ぎ)」だ。
大海原の夜明けの岩に丹頂鶴一羽がいて「一品當朝」とする絵は、増田東洲の描いたもの。「當朝」とは、ありていにいえば朝廷の権力を握ることだから、一品という最高位に昇って大出世を遂げるというおめでたの絵だ。日が昇り、見渡す大海原に丹頂の鶴が舞降り「大出世」を言祝ぐのだ。この吉祥の絵画の年は戊戌で、こちらは茂ったものを整理する意味をもつから、それに成功した者は出世するというわけだ。もしこの絵が今年の癸卯ならば、癸は「測る」ことだから、門を開けて日が昇り、広大な大海原ながら必要なところを計測してかかれば大出世疑いなし!
とまぁそんなことを表す絵となる。
さて世間からは出世と目された文徴明の宮廷勤め。ようやくやめて蘇州に帰って、今度は気楽に新年を迎えて「卯」、つまり門を開く。(「正月書事」)
開門聊自占風色
門を開いていささか自ら風色を占め
展刺先欣見故人
刺を展べてまず故人を見るをよろこぶ
門を開けば新春の風景は独り占め! 名刺を出せばまず旧友を見て嬉しいこと! 束縛から開放された正月の喜びに充ちて、まことに清々しい。門を開き、扉を開ける「卯」。その時に日は昇る「卯」。日の出の絵を一年中見ながら、いつでも「卯酒」と測ってみるか。
佃 一輝(つくだいっき)
一茶庵宗家。著書に『文人茶粋抄』『煎茶の旅〜文人の足跡を訪ねて』『おいしいお茶9つの秘伝』『茶と日本人』(2022年3月新刊)などがある。
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