泥遊び 筆遊び


加藤静允(かとうきよのぶ)

京都生まれの小児科医。鮎を釣り、書画を好み、陶芸をたのしむ。すべて「ソレデイイノダ」が最近の口ぐせ。細石は少年のころ井伏鱒二にあたえられた釣人の号。


1|民芸派三人寄書簡


 

 記憶に残る幼児期のこと、いくつかの映像をはっきりと見ることが出来るのです。もう80年以上も経ったとゆうのに。

 修学院の田舎から京の町へ行くのに、他所(よそ)行きの服に着がえるのを嫌がった情景が憶い出されます。綺麗にして出掛ける、他人(ひと)に見られるのがたいへんいやだったのです。

 ひとりで、じーっとものを見るのが好き、ひとりで、ものを作る気分が好き、ひとりで絵をかくのが好きでした。一対一で語り合う、他人(ひと)の話しを聴くのも嫌いではなかったのですが。少し大きくなって、命令されるのはいや、命令するのもいや、病的に固持するほどではないのですが、そっと逃げてしまう方でした。

 やっぱり、ひとりでものを作ったり、獲ったりするのが好きな性質は変らず今日に至ったようです。

 

 学生の頃、民芸品や民芸派の人々に魅かれたことがありました。京都民芸協会の会長をなさっていたS氏邸に伺う時は二階の収蔵庫に入れていただけるのが心踊る楽しみでもありました。

 河井寛次郎さんが亡くなられる前の2週間S病院の内科へ入院された時、その病院の小児科に勤務していたのです。寛次郎さんの担当医は2年先輩のM先生でした。この時、次々と病院へお見舞に来られた民芸派の方々のお顔を多く拝見したのです。今も眼を閉じると、鶴の如き痩身で、それでもご自分でしっかり立って歩行入院されて来た時のお姿をはっきりと見ることができます。入院後の日々、M先生が診察、点滴注射などに行かれると丁寧にしっかりと挨拶されるとのことでした。

 この民芸派三人の寄せ書き書簡、松本市外霞山荘で合宿し著書の編集をされている所へ倉敷市酒津のT氏から岡山の白桃が沢山届けられた時のお礼状です。

 柳宗悦、バーナード・リーチ、そして河井寛次郎それぞれのお人柄がよく出ています。リーチの文は一見英語かと思いきや、よく見ればローマ字なのには頬がゆるみます。

 表具遊び、裂は古いつむぎ、鬼袿(おにしけ)風、すじ風帯などの筋はインド更紗、軸先は染付細線文、拙作です。

 初夏の一日、陋屋に友を迎える時、床無しの壁に掛けておき、話の種にして一刻を過すことがあります。