relay essay|連閏記


10|森の中に一軒の家を建てるまでの物語

松崎由紀子(ライター)


 

「自分たちで建ててみようか」
そう先に言い出したのは夫だったか、私のほうだったか。今となってはもうはっきり思い出せない。それはもう30年も前のことで、随分と時間が経ってしまっている。けれども、記憶が朧なのは長い時間が流れたせいというよりも、私たち夫婦がそのことで言い合いをしたり、反対し合ったり、揉めるようなことがまるでなかったからだと思う。その時、私たちは、自分たちの家を自分たちの手で建てることを、するりと決めてしまったのだ。
きっと今の私なら、あの時の私たちに、「そんなこと無理でしょ」と、諭そうとするだろう。なにしろ、夫も私も建築の知識も技術も皆無の素人で、日曜大工さえろくにしたことがなかったのだから。でも、たぶん、何も知らなかったからこそ、何もかもはじめてのことばかりだったからこそ、私たちは10年間、東京での仕事の合間を縫っては、コツコツ飽きずに家を建て続けたのだと思う。そして、とにもかくにも、小さな森の中に一軒の家を完成させた。

いささか胸を張って言いたい。自分たちなりに「できた!」と、完成を宣言してから20年、我が家はびくともせずにまだちゃんと建っている。家の中は、夏は涼しくて冬は暖かで、居心地がいい。雨風に直に晒される屋根やデッキなどは、経年劣化して修理の必要も出てきたが、そういう見守りさえ怠らなければ、この家にはまだまだ100年は快適に住み続けられそうだ。もちろん、現実にはそれは叶わないことだが、実のところ、その「100年の家」に憧れたことが、私たちの家造りのそもそもの原点だった。

すべてのはじまりは、温泉と蕎麦である。そのどちらにも目がない私たちは、よく信州へ旅をして鄙びた山間の宿を目指す途中、大きな茅葺きの家などに住む人がいなくなって久しいらしいのをあちらこちらで見かけた。そういう家には、たいてい白い塗り壁の立派なお蔵もあって、「もったいないねえ」と、通り過ぎながら話していたのだが、そのうち、「もったいないねえ」が「ほしいねえ」に変わっていった。
住人はいない。鍵はかかっていない。となれば、家の中を見てみたい誘惑には争いがたく、そっと覗かせてもらうと、黒々とした太い柱と梁がまず目に飛び込んでくる。木の自然な曲がりをそのまま生かして、釘など使わずに組まれた構造はいかにも頑丈そうで、意匠としても魅力的に見えた。壁は傾いているようなところもあったが、いっそ取り払えば空間が広くなる。ボロボロの畳は新しく取り替えるか、板に張り替えてもいい……。
おそるおそるの探検は、古民家改造の大胆な空想に発展していき、私たちは本気で空き家探しをするようになった。

インターネットなどなかった時代のこと。どこかにめぼしい古民家はないか、役場に立ち寄るなどしながら足で情報を集め、小さな村々を訪ね歩いて信州の地図はざっくり網羅したが、家と環境を同時に気に入る巡り合いがないまま3年が過ぎた。
そんな冬のある日、いつもの信州まで半分ほどのところでふらりと高速道路を降りてみると、パキンと澄んだ大気の中に富士山、南アルプス、八ヶ岳が迫る圧巻のパノラマがあった。裾野は広々と開放感のある里山で、私たちはその眺めのいい村の明るい野原「明野村」という名前も気に入った。
家は好きなように造れても環境はおいそれとは造れない。予期せぬ出会いから、新しい発想で土地探しをはじめた私たちは、それから2年後、とうとう村はずれの小さな森の一隅を譲り受けることができた。
振り返ってみると、ずいぶん遠回りをしたものだが、その長い道のりの間に、私たちは「家」というものに、「家造り」ということに、すっかり興味を持ってしまった。だから、「自分たちで建ててみようか」と、夫婦のどちらからともなく言い出したのは、自然な成り行きだった気がする。無謀なチャレンジだったことは否めないけれど。

さて、どんな家を建てるか。基本のイメージは、信州の山奥で見てまわった「木と土と石と紙の家」だった。そこで刻まれる時間に燻され、住み続けるほどに美しさが育っていって、やがては土に還る家がいい。できるだけその土地にある材料を使って、その風土に馴染むように建てるのがいい。建築雑誌で俄勉強もしながら夢はどんどん膨らんだが、何より「素人でも建てられる家」であることを肝に銘じなければならず、私たちの設計図は「できるだけ単純な四角い箱」に収斂されていった。
それをもとに、夫はまずスチレンボードで家の模型を作った。その時点で、広さは20畳ほどを想定していた。次に、模型飛行機用のいろいろな太さのバルサ材で、大黒柱、柱、梁などの構造を想定しながら軸組の模型を作った。「中学校の家庭科は5だった」と豪語する夫の力作のおかげで、私たちはこれくらいの家なら楽勝で建てられると錯覚。あろうことか、設計図を2倍以上の広さに引き直してしまい、広さの2倍は労力もコストも単純に倍ではなく何乗にもなることを、後々痛感することになる。

基礎、土台、軸組、屋根、壁、床、水廻り、などなど。家を建てるためには、工程ごとに数えきれない段取りが必要になる。道具類を揃え、材料を見繕い……私たちの家は、そのひとつひとつを、泥縄式と付け焼き刃で積み重ねるうちに、ゆっくりゆっくり、少しづつ少しづつ、かたちになっていった。

長いようで短い10年だったのか、短いようで長い10年だったのか。建築期間中、私たちはテントに暮らしながら、鳥の声に目覚め、樹々の香りに浸り、闇夜の暗さに怯え、煌々と照る満月を見上げ、暑さ寒さにも耐え、自然に添いながら暮らすということを身を持って考え、家造りに生かしたつもりだ。
そうして過ごした日々は、普通の時計では測れない、かけがえのない時間だったと思う。そしてそれは、家が完成してからの私たちの生き方を変える意味をも持つこととなった。


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