独吟独酌


御立尚資(みたちたかし)

兵庫県西宮市生まれ。明治期の日本画、R&B、一癖ある醸造酒好き。現在は、京都大学大学院で教鞭をとりながら、大原美術館等NPOの理事や社外取締役を務める。


1|気まぐれな月


 

李白に「月下獨酌」と題する古詩がある。

花間一壺酒
獨酌無相親

木々の花に囲まれ壺いっぱいの酒を手にしているが、一緒に酌み交わす相手がおらず、独り盃を上げる。こんな風に始まる詩だ。
この後、付き合ってくれる相手として月を迎え寄せ、さらに自分の影も加わって、三人で楽しむ場面が続く。

我歌月徘徊
我舞影凌亂

「わたしが歌えば、月は夜空をめぐって動き、
わたしが舞えば、影は地上に乱れて揺れる。」(松浦友久訳、「李白詩選」岩波文庫)
といった具合だ。
独り酒のはずが、宇宙・自然を相手に壮大な宴となっていくわけで、最後は、それぞれが別れていき、
「遥かな銀河での再会を、たがいに固く約束しよう。」(同上)
と終わる。

身ひとつ、酒壺ひとつから始まって、広大な宇宙にイメージが広がり、そして自分一人に戻っていく。
独酌の折に、夜空を見上げて、つい口ずさみたくなるような五言古詩だが、少しばかり酒を嗜む身としては、さて壺中にどんな酒が入っていたのか、そんなことが気になる。

普通に考えれば、白酒(蒸留酒)ではなくて、黄酒、すなわち紹興酒のような穀物醸造酒だろう。ふくよかな味わいの醸造酒をゆっくりと飲み続ける。これは花咲く季節の暖かい夜、月明かりの中で酔いを楽しむイメージとはぴったりだ。酒自体は常温が良いな、などと勝手に思い耽る。
盃はどうか。唐の時代に日常の器にどのようなものが使われていたのか、これがどうもわからないのだけれど、個人的には温もりを感じる陶器がありがたい。

ちょっと気になるのが、李白は大唐帝国西寄りの蜀出身で、西域の血が入っているという説も根強いということ。ひょっとすると、壺の中身は、西域から渡来した葡萄酒だったかもしれない。実際、唐詩には葡萄酒がよく出てくる。
そうすると、場面は花冷えの夜の森。月の光や影も冷たさを秘めていて、引き締まった夜に思いは天空を駆け巡る。
これに相応しいのは、少し冷やした葡萄酒だろう。それを、ローマかペルシアからやってきた古ガラスのグラスで飲む。白磁の酒器も良さそうだ。

こんな妄想を独り楽しみながら、今晩の酒を用意しようとして、ふと気づいたのだが、ムーングロー、その名も月光というカクテルがあった。
不思議なことに、まったく違う2バージョンのレシピがある。
日本のバーで出てくるのは、カカオの香りと蜂蜜の甘みが柔らかい乳白色のショートカクテル。
確か、ドランブイ、ホワイトカカオ、生クリームを同量ずつ加えて、シェークするはず。
海外で出くわす違うバージョンは、黄緑がかった透き通ったパンチのあるもの。
ギムレットの材料に、大好きなシャルトルーズの黄色い方を加えたものなので、記憶に残っている。
乳白色の方は、黄酒の後に。黄緑の方は葡萄酒の後にぴったりだ。
さて、どちらの組み合わせにしようか、と思いあぐねていると、我が月は雲の影に入ってしまった。
仕方がないので、李白を肴に飲み始めるとしようか。

漫画:岡本一平