ときの酒壜


田中映男(たなかあきお)

1947年、東京都生まれ。1971年、外務省入省。2010年にオーストリア大使を退職するまでの40年間に、海外の任地に8回勤務、80カ国以上を訪問。趣味は茶の湯、陶芸、銅版画など。


1|ブラジルのイエローサブマリン


 

ブラジルのサルバドールの沖合に、一日に二回、海面に豚が背を丸めたような姿をあらわす岩礁がある。岩に囲まれた環礁で泳げば、目の前を魚が泳ぐ。天然のプールは、家族連れの客に焼き魚とコーラ麦酒を売りつけようとする屋台船で賑わう。浜から岩礁までは筏で運んでもらうしかない。ジャンガデイロ(漁師)が、木切れを釘と紐で括った筏に、帆柱棒を一本立て家のシーツを張っただけのもの。浪間をかい潜る筏には、これも家から持ってきた椅子が二つか三つ縛り付けてある。船賃を払って座ると、椅子の端を両の拳でしっかりと握りしめ、大西洋のウエーブに合わせて体重を移動し、乗り心地を塩梅してくれる。

育った時代の音楽で、その人がわかる。ぼくの高校一年のときには、ビートルズが来日。ぼくは大瀧詠一の「雨のウェンズデイ」が好きだった。「イエローサブマリン音頭」は、その大瀧さんによるプロデュース最高傑作。これは、ご本人の弁でもある。

街のはずれに・船乗りひとり・酒を片手の冒険噺・行くぞぼくらも七つの海へ・波に潜れば不思議な旅さ・楽な暮らしさ・笑顔で生きて・空は青いし・港は緑・みんな集まれ・深海パーティ・バンドも歌う・イエローサブマリン・潜水艦(訳詩:松本隆)

波間に沈む筏に乗ってちょっと辛いのは、ジャンガデイロ筏師のおじさんが推進力を船に与えるために、柄杓で潮水を酌み、一杯また一杯とひっきりなしにシーツに浴びせるため、こちらも全身がずぶ濡れになるところ。濡れたシーツの方が風をはらむ、というわけではある。それもまあ、石油も石炭も使わないんだから、けっこうな乗り物だと感心した。

1980年代は、東西冷戦の寒流とデタントの暖流が、世界のあちらこちらで互いに押し合いへし合い、温くなったり寒くなったりした十年間だった。地球の裏側ブラジルで、この頃のぼくは、そんな政治問題にではなく、ブラジル政府の借金不払いの「モラトリアム宣言」に日本政府と銀行が対処するための情報取りの仕事に打ち込んでいた。ブラジル独特のアフリカ流が加味された食事も音楽も、それは興味深くて愉しかった。

昼間は人でいっぱいの岩礁も、夜には人がいなくなる。「イエローサブマリン音頭」ではないけれど、いろんな国の潜水艦が集まって、月が出れば岩に上がり、やあやあと握手して肩の凝りでもほぐすだろう。そうなると中秋の名月に誘われ、米ソの潜水艦長が岩に座り、アメリカ人が「黒い瞳」を歌えばロシア人が「草競馬」を歌うといった具合に歌合戦をしていたりしゃあしないかと、ぼくは空想をふくらませた。