気取らず 威張らず|清野恵里子

9|Flowers Bursting Forth


 

2023年2月の始め、古澤万千子先生からお手紙を頂戴した。1933年生まれの先生は、この年、九十路をむかえる。
「ここのそじ」とは、鷹揚な響きを持つ九十路の読み方である。

「只今国展の仕事に入りました この度は私の定番のように花を絞りで並べ うすい水の色一色地に墨と筆だけで一面の花を描きたいのです やっと縫いがはじまった所で先は遥かで氣が遠くなり胸がいたむのですが いつもはじまりは不安の中でこんな風です そして作品の題名はもう決めました“花が湧く”です 手先がまだ健在であるうちに筆先を使う仕事を残しておきたいのです だから何度か同じくり返しではありませんかと云われたら もうあとからあとから現れ湧いて来る花を この筆では描けないかもしれませんとお答えしようかと思っています」先生の決意表明が静かに力強く綴られていた。

十日後にいただいた一通には、先生がずっと迷っていらした“花が湧く”の英語のタイトルを“flowers bursting forth”に決められたこと、「ひたすらいつ上がるかもしれない絞りを絞りつつ居りますがいづれ藍につけ 生まれて来るフラワーズに一輪づゝ細筆で蕊を描いてゆくはずです 長ちょう場が続きます」と結ばれる。
それからさらにひと月が経って、「正念場」という言葉を、つぶやくように添えた文章には、
「昔からの“定ばん”の描花と云ってよいのですが その時々によって違うので いつまでもこの指先が思うようになるのか分かりません故 この度はスナオに藍と手先だけの事やっておきたいと存じました」
次々と湧いて来る花は、片袖に描かれるものだけでも200個。いったいどれほどの数になるのか。先生が作品に向われる姿を想像することも難しい、門外漢の身としては、ただただ呆然とするばかりだった。
かくして、2023年の5月、六本木の新国立美術館で開催された国展の会場の一角には、淡い藍の地一面に墨一色で数え切れぬほどの花を描いた“花が湧く”が展示された。

二十年程前になるが、雑誌の着物の連載で、紅花で染めた紬に合わせ、親しいきもの屋さんから古澤先生の帯を拝借したことがある。
淡い藍の地に、雛罌粟や蛍草、釣鐘草、蜻蛉や蝶々、蜜蜂が描かれ、背に黄金の羽根を付けた天使の小さな手には、しっかりと弓が握られている。目を凝らすと、斑点模様の猛獣までも、長閑な顔で仲間入りしていた。
良寛の詩の初句「夜夢都是妄」(夜の夢は都(すべ)て是れ妄にして)がこの作品の題名である。
帯に染められた夢の宴のような情景について、制作の経緯をお聞きしたくて、ご自宅にお電話したのが、先生のお声に接した最初だった。
先生がかつてご友人と旅したトルコで、異国に栄えた文明のあかしを求め各地を巡った時のこと。かの地に眠るスルタンたちの壮麗な廟や、モスクの建物を覆い尽くすアラベスク文様のタイルの、ターコイズやラピスの色彩、乾いた大地に息づく可憐な野の花や小さな生き物、奇妙なカッパドキアの景観などのすべてが、創作を急かすかのように迫って、帰国すると旅装を解く間も惜しく、白生地に描いた作品が「夜夢都是妄」だったと話してくださった。
それから、10年と少しの時間が経過したころ、39歳という若さで逝った市川雷蔵という役者について書いた拙著『咲き定まりて』を先生にお送りした。
古澤先生は浅草に生まれ、数多くの才媛を輩出した女子教育の名門都立第一高女のご出身である。女学校に入学した14 歳から20 歳のころまで毎週日曜日、藝大の久保守教授のもとで終日熱心に油絵を学んだ。お祖父様は、神田豊島町で寺社建築など幅広く手掛けた大萬という屋号の大工。建築家であり厳格だったお父様にとっては、浅草六区の映画街に近づくことなどもってのほかのこと。当時の映画スターの名を口にすることも憚れるような青春時代を過ごされた。
先生が雷蔵ファンでいらしたことなど、少しも存じ上げずにお送りした拙著が、何十年もの間封印されたまま押入れの奥にそっとしまわれていた手文庫の蓋を開けてしまったようである。
以来、制作に没頭なさる先生の、おしゃべりの相手にしていただいたり、お手紙を頂戴するという幸運を頂戴している。

先生がすっかり諳んじてしまった映画の主人公のモノローグを、淡い朱や青の絵の具で書いた上に墨文字を重ねた一通は、封筒から取り出し開いた途端、美しい装飾経のようにも見えた。李氏朝鮮悲劇の王子、思悼世子を演じた役者が、広巾の袖に扇を打ち鳴らす姿を、能、菊慈童に重ね、童子の面を描いてくださったこともある。
幼いころから先生が長い歳月過ごされた様々な風土で、人とは比べようもない五感を通して蓄積された記憶は、幾重もの地層をくぐって地下深くの豊かな水脈を作り、時おりふと顔をのぞかせる。
疎開先の長野の山中、小川に落とした眼鏡のことなどすっかり忘れて見入った儚げな白い花のこと、上野池之端の画材屋さんで求めたホルベインのカドミウムイエローの絵の具、民藝館の売店で、お財布を空っぽにしてしまった棟方志功の版画、油絵のお稽古に通った鎌倉で目にしたサーキュラースカート姿の美しい女性が、雷蔵とも共演した某日本画家の令嬢であったことなど。ついつい楽しくなって時間の経過も忘れてしまい、あとから先生の制作のお邪魔になったのではと反省してしまうことも度々だが、電話口の向こうで話してくださる言葉のひとつひとつが、鮮明な映像となった。

“花が湧く”の年、初夏のころいただいたお手紙には、色とりどりの蜻蛉が描かれ、傍らに花弁に白緑の色を添えた白い芙蓉が咲く。秋の国展に向けた作品の準備が始まっていた。

 

清野恵里子(せいのえりこ)

群馬生まれ。文筆家。伝統芸能や、古美術、工芸、映画など、ジャンルを超えて、好奇心のおもむくまま、雑誌の企画、執筆など続ける。独自の美意識に基づくきものの取り合わせは、多くのきもの好きに支持される。『咲き定まりて 市川雷蔵を旅する』、『時のあわいに きものの情景』など著書多数。