書物の庭|戸田勝久
20|“The Studio” 英国の美術雑誌
美大の学生時代は今思えば人生で一番積極的に勉学に励んだ時期だった。自分の好きなことを専門に学ぶのだから楽しくない訳が無い。
授業の合間に暇さえあれば、図書館に行き、見た事もない書物との出会いを楽しんでいた。美術大学だから当然さまざまな美術書が書架に並んでいた。書庫にある本も図書カードを繰り、気になる題名の本を出してもらいチェックした。
「日本画科の○○君、『芥子園画伝』を早く返却しなさい」との愉快な構内放送が忘れられない。江戸、明治、大正、昭和時代の貴重な書物があり、栄養たっぷりな時間だった。
書架には退官の際に教授たちが寄贈された珍しい本が多くあり、先生方の蔵書印や蔵書票にお名前を見、ありがとうございますと呟いて拝読した。
そんな中で忘れられないのは、英国で19世紀末に発刊された美術工藝雑誌『The Studio』だった。
表紙のアール・ヌーヴォー調のデザインに惹かれてページを捲ると、19世紀末から20世紀初頭の英国と欧米の美術工藝の世界が美しい写真と木口木版画などの図版で繰り広げられていた。
書名の”The Studio, An Illustrated Magazine of Fine and Applied Art”に違わず凡ゆる美術工藝の記事と図版が掲載されていた。
1893年4月に英国企業家Charles Holme(1848〜1923)により月刊誌として創刊、1964年5月号までの長きに亘り853冊が発行されヨーロッパ美術工藝に大きな影響を与えた。
初代編集者でもあった創刊者チャールズ・ホームは、当初シルクとウールの貿易商としてヨーロッパ、米国、日本を旅し、日本に支店を出すなど東洋文化に大変深い理解を得ていた。ロンドンのJapan Society の副代表も努め1902年には日本政府から旭日章を叙勲されている。それ故創刊時から日本の美術工藝には特に注意を払い、米国留学し英語に堪能な日本人原田治郎(1878〜1963)を通信論説員として採用。彼の英文による80以上の記事は、ジャポニズム時代のヨーロッパに日本美術の情報を正確に伝えている。
原田の日本庭園紹介記事、1922年No.356
大学卒業後、たまたま通りかかった京都寺町通りの古書店でこの素晴らしい雑誌を20数冊まとめて求める事ができた。その内の4冊をご紹介。
左/1910年7月号 右/1894年3月号
左/1925年10月号 右/1922年11月号
1894年3月15日発行 VOL.Ⅱ No.12 29×21cm
この表紙は前年デビューしたばかりのA.ビアズリーによる
“Tales of Japan” by J.J.Shannon 巻頭口絵
“English Art and M.Fernand Khnopff” by W. Shaw Sparrow
6ページに亘る英国美術とベルギー象徴派の画家F.クノップフ(1854〜1921)の関係についての記事
木口木版画挿絵のイギリス刺繍で装釘された本の紹介記事
美術学校、画集、画材などの巻末広告
1910年7月15日号 VOL.50 No.208
1910年ロンドンで日英博覧会が開かれ原田治郎は政府から事務嘱託を任じられ渡英した。会期は5月12日から10月29日だった。この時に『The Studio』との縁が出来、今号に日本美術について25ページもの特集記事を初めて書いている。
第一次大戦の少し前、アール・ヌーヴォーからアール・デコへの移行期にあたる。広告が増えて巻頭15ページにも及ぶ
リバティーやラウニーなど今も親しいブランドの広告がある。113年前の水彩紙の見本入り
日英博覧会場での浮世絵版画販売広告
セントマーティンやゴールドスミスなどロンドン藝術大学のカレッジの前身の美術学校の広告
原田治郎初の掲載記事、この後長年に亘り日本美術や庭園について英文で紹介していく
日英博覧会出品作を中心に日本美術の流れと見方を丁寧に解説
川合玉堂の大作の美しい図版
森 琴石や野口小蘋など現代日本人には馴染みが少ない画家の力作が観られて嬉しい
左上に吉田 博の名作水彩画、右に日本の画家たちの落款印譜、この印譜は欧米の画家のサインに影響を与えたのではないだろうか
グラスゴー派の刺繍
「エントランスロッジのデザイン」美術、工藝、建築の記事が雑誌の柱となっている
1922年11月15日 VOL.84 No.356
第一次大戦後、1925年様式のアール・デコ前夜の雰囲気が漂う
「書物の庭10」で紹介したオランダの絵本画家ル・メールの『Baby’s Daily 』と画家浅井忠、夏目漱石が愛用した名水彩紙ワットマンの広告
Fashion Drawing のレタリングは既にアール・デコ様式
アトリエ用の照明器具
“The Modern Sprit in The Art of The Bookplate”
James Guthrieが自作の蔵書票を中心にその魅力を紹介している
欧米での日本庭園の理解を深めたと言われる原田治郎の記事
原田は造園と写真にも造詣が深く、要を得たアングルの写真は自らの撮影
私が愛用している水彩絵具メーカーの広告には親しみを感じる
大正11年12月25日に丸善京都支店にて一円二十銭で買われた伝票、梶井基次郎の『檸檬』のあの丸善京都、この年に小説の原型が書かれている
1925年10月15日 VOL.90 No.391
1925年、いよいよアール・デコの時代
ビアズリー没後を代表するイラストレーターHarry Clarkeの新刊挿絵本ゲーテ著”Faust”の紹介記事
The Studio誌の図版印刷はどれも精度が高く美しい
建築と室内装飾の紹介も多い
東京の特派員記事として原田治郎が1925年のパリ万博、アール・デコ博覧会に日本から送られた工藝品に就いて解説している
The Studio誌は雑誌以外に年に何冊かの書物を出していた。ブックデザイン、版画集、絵画技法書や建築デザイン集など。
これは”The New Book Illustration in France” と題され1924年のフランス挿絵画家たちの作品が一覧できる168ページの好資料。
ハードカバー、表紙エンボスが美しい
右/1924年パリで出版されたばかりのカルロス・シュヴァーヴ挿絵『ペレアスとメリザンド』メーテルランク著
右/当時の売れっ子挿絵画家ジョルジュ・バルビエ
アンリ・ド・レニエ著『神話の情景』1924年の挿絵、A.E.マルティ銅版画、マルティは「書物の庭6」に紹介している
パリ版画界の大物J.E.ラブルール、「書物の庭8」にて紹介
これらの挿絵はできる限り原版から原寸で刷り(銅版画、カラー図版以外)、複製図版が美しく、1920年代フランス挿絵本蒐集のガイドブックにふさわしい一冊。
大学図書館で出会えた美術雑誌”The Studio”を今もたまに取り出して眺めている。何度も見て読んだはずなのに見る度に新しい発見があるタイムカプセルのような雑誌。
ひとりの英国企業家チャールズ・ホームが貿易商から雑誌の出版へと転身された事を感謝して、またページをめくる。
戸田勝久(とだかつひさ)
画家。アクリル画と水墨画で東西の境が無い「詩の絵画化」を目指している。古書と掛軸とギターを栄養にして六甲山で暮らす。
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