書物の庭|戸田勝久
26|Ōtagaki Rengetsuの本
約40年ほど前、京都寺町通を二条から北へ歩いていると侘びた店構えの古書肆「藝林荘」の飾り窓で美しい書の和歌短冊と出会った。
細く強い線で書かれた中に美しい丸みと張りのある平仮名の「の」が目に入った。他の字はあまり読めないが、いくつかある「の」が目に心地良く響いて作者が気になり店の引き戸を開けた。
薄暗い店の奥から小柄なおばあさまが訝しげに私を眺めている。
「すみません、表にある短冊はどなたの作品でしょうか?」
「蓮月と言う幕末の尼さんが書かはったもんや」とのお返事。
「何と書いてあるのですか?」
おばあさまは飾り窓から短冊を取り出してすらすらと読んで下さった。
「うかれきて花野の露にねむるなり こはたが夢の胡蝶なるらん」
なんとロマンティックな春の歌なんだろう!
「こんな読みやすい字は無いね」
おばあさまは私の顔を見てそう言われた。
私はわずかな文字しか読めないけれど、この短冊の伸びやかな「の」の魅力に惹かれ、まず参考書として杉本秀太郎著の『大田垣蓮月』を購入し、それを手引きに蓮月尼の世界に没入して行った。
それから京都の街を彷徨うとあちこちで蓮月さんの短冊と和歌が釘彫りされた手捻りの陶器と出会い、手元に少しずつ蓮月さんをお迎えしている。
大田垣蓮月(おおたがき れんげつ)寛政三(1791)年- 明治八(1875)年、江戸時代後期の尼僧・歌人・陶芸家。俗名は誠(のぶ)。彼女の生涯は波瀾万丈、大河ドラマのように変化に富んでいる。語り継がれた逸話の数々は戦前の勤王思想でもてはやされ、昭和18年吉井勇は戯曲『蓮月』を書いた。
彼女自身の素直なポエジーに満ちた分かりやすい和歌と繊細かつ強靭な線の書作品、その和歌を釘彫りした手捻りの急須、煎茶碗、花瓶などいずれも香り高い蓮月文学の世界を作り上げている。
その書跡と陶器作品等を一堂に集めた展覧会「大田垣蓮月 幽居の和歌と作品」が2014年春、京都の野村美術館で開催された。主催は蓮月研究家ジョン・ウォーカー氏と蓮月財団プロジェクト京都。ウォーカーさんの蓮月への深い理解と研究とコレクションの成果が私たち日本人に初めて示された画期的な展覧会だった。その折、私も拝見に上がり沢山の蓮月作品に興奮して、会場で作品を食い入るように眺めていたのを思いだす。幅広い蓮月の作品を網羅し、整理された未だかつて無かった濃い内容の展覧会だった。
その図録として115点の作品と3点の書簡を載せて和英対訳で作られた約200頁の大部の書物がこの『Ōtagaki Rengetsu』。
熱が籠った素晴らしいこの蓮月本を見ていると、彼女は我々日本人よりも沢山の海外の理解者とファンを持っているのだろうと思えて来た。
研究者ジョン・ウォーカーさんの熱意と和歌英訳と本書出版のご努力に感謝し、これからも世界中に蓮月ファンが増えるのを期待している。
蓮月好きの必携本
『閏』の毎月の表紙絵を描かれ「泥遊び 筆遊び」を連載されていた小児科医 加藤静允先生の曽祖父さまにあたる蘭方医(洋医) 安藤精軒先生が蓮月さんが亡くなられた時の主治医だった。
村上素道の『蓮月尼全集』に「漢方医」と誤記されているため、杉本秀太郎さんの本など後の書物は全て間違えて記されている。
「蘭方医(洋医)」が正しいので、世の蓮月ファンの皆様にご訂正を乞う。
私の愛用の蓮月茶碗
戸田勝久(とだかつひさ)
画家。アクリル画と水墨画で東西の境が無い「詩の絵画化」を目指している。古書と掛軸とギターを栄養にして六甲山で暮らす。