書物の庭|戸田勝久
36|鏑木清方の本 其の一
画家鏑木清方の著作7冊の内、今回は下段右から『銀砂子』、『築地川』、『褪春記』の3冊について
鏑木清方[かぶらき きよかた、明治十一年(1878)~昭和四十七年(1972)]は、「一葉女史の墓」(1902年)や「築地明石町」(1927年)などの美人画で知られた明治大正昭和を生きた挿絵画家、日本画家、随筆家。師匠は浮世絵師、挿絵画家の水野年方。
鏑木清方画「八幡鐘」
多色摺木版口絵、明治42年、文芸倶楽部 第 15巻第15号、32.5cm×22.5cm、挿絵画家として江戸浮世絵版画の職人達と組んだ雑誌の仕事尾崎紅葉や泉鏡花と交わり、彼らの著書の装釘や雑誌の挿絵を担当した。文も能くして生涯に何冊もの随筆集を出している。
『銀砂子』
鏑木清方著、小村雪岱装釘、岡倉書房、昭和九年五月、限定1000部、19.3×13.8cm、献呈署名本画集刊行より先に上梓された清方初の随筆集、序文に清方が「草餅(文)を盛るに色鍋島(装釘)の皿」と書いた小村雪岱の瀟洒な装い
千代さま 清方の献呈署名木版摺の題扉の書体は、いわゆる「雪岱文字」
画人としての物の見方が読める随筆集
16項目にも亘る詳細な書誌情報が記載された丁寧な奥付
『築地川』
鏑木清方著、泉鏡花序文、著者自装、書物展望社刊、趣味版300部、昭和九年十月、
20cm×16.5cm、表紙木版摺、挿絵木版画1葉前著『銀砂子』に続いて矢継ぎ早に同年内に上梓された本書には泉鏡花の序文を得て、さらに香り高い書物になっている。
題扉の書名と著者名は装飾和紙に端正な墨書自筆
泉鏡花の潺湲たる序文目次には清方描く飾り絵
いかにも清方らしい瀟洒な「あさがほ」木版画挿絵
検印紙も清方画花柄の木版画裏表紙には画室号の「紫陽花舎」に因んだ紫陽花の木版画
『褪春記』
鏑木清方著、自装、双雅房刊、昭和十二年、本書は普通本、別に限定150部本がある、19cm×13cm
題扉木版画「落花流水図」は経年の染みが出ている、著者名と書名も清方筆の木版摺「私は繪を業とする。だのに、まだ一冊の畫集をも世に出してゐない。だのに、これで三度目の随筆集が本になって世の中にでる。」と呟く紫陽花舎主人の序文
目次には、そぞろごと、えりもと、凉床語、ゆかた、明治の東京語、河岸など江戸と繋がった抒情漂う東京下町の静かな景色が浮かぶ
「繰り返すやうだが、どんな小品でも、自分の得心ゆかないものは、破るなり、焼くなりして了ひたい。」と画人の想いが書かれている本書は私の銅版画の師山本六三先生の旧蔵、この本を買われた日にも大阪の古書店にご一緒していた。そして、先生没後に私の書架に収まり、読み進む内に清方が画家として自分の矜持を記した頁に薄紙が挟んであるのを見つけた。
ただの薄紙だが私には先師がこの清方の生き様の頁に印を入れた事に思いを巡らせる大切なもの。後の読者にとっては、ただの紙切れとして破棄されるのだろう。
本書に挟まれていた版元双雅房の刊行目録、久保田万太郎、丹羽文雄、河東碧梧桐など当時の錚々たる名前が並んでいる
奥付検印紙は清方画の石蕗、版元双雅房は美書出版で知られている
鏑木清方と親交があり、還暦の寿像を描いた事で知られている浮世絵研究の重鎮、美術史家の藤懸静也著、清方装釘の美しい書物を以下に。
『浮世絵』
藤懸静也著、鏑木清方画の木版画装釘、天金、大正十三年五月、雄山閣刊、19xm×14cm
箱は瀬川菊之丞の道成寺、表紙は金版を用いた春信風の藤娘、表紙の題書も清方筆
藤懸静也[ふじかけ しずや、明治十四年(1881)-昭和三十三年(1958)]は、浮世絵研究者初の東京帝國大學教授で浮世絵版画の歴史を系統立てて整理した。
この『浮世絵』は、彼の研究成果を著し、その由来と歴史的発展と画家を網羅紹介した浮世絵の基本図書として制作されたが、清方の木版画装釘の初版は、発売直前大正十二年の関東大震災で被災し、全ての書物が火災で失われた。
しかし、運良く本文の紙型のみ無事だったので、再度本文を刷り、急遽清方の新しい装釘画を得て大正十三年に木版画装で復活上梓された。
表見返は江戸庶民に親しい風景、隅田川富士遠望の二色摺木版画
本書の完成までの経緯が書かれた序文、関東大震災による被災
震災後、著者と版元の熱意によって世に出された
美しい白黒コロタイプ印刷図版
裏見返は、筑波山遠望の図、たった二色摺だが薄青色の効果が素晴らしい
裏表紙、艶やかな色彩に梅図
関東大震災後の混乱した時期に鏑木清方と藤懸静也の友情で完成した本書が、その後の浮世絵版画研究に資した役割は大きい。
「鏑木清方の本」は、次回の「其の二」に続く。
戸田勝久(とだかつひさ)
画家。アクリル画と水墨画で東西の境が無い「詩の絵画化」を目指している。古書と掛軸とギターを栄養にして六甲山で暮らす。
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