白の光束(ルーメン)|サイトヲヒデユキ
2|もののつづき
2001年
私は9年間在籍したデザイン会社を辞めて、晴れてフリーで活動することになり「さぁどうするか」と暫くは家にある蔵書や仕入れた古本を売りながら生計を立てていた。
或る年の桜の季節、石神井公園で花見をしていると隣りのブルーシートに三線を弾きながら沖縄民謡を歌っている小柄な女性がいた。話しかけて見ると、彼女は全国の廃墟や銭湯を回って写真を撮っていると云う。
私はへぇ面白い人がいるなと、ぼんやりと缶ビールを飲みながら、「僕は古本屋です」と返した。
それが大沼ショージという写真家との出会いだった。
その後、実はデザイナーですと告白して、たくさんの仕事を重ねることになる。
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しばらくして、彼女が住んでいる南千住の家を訪ねると、風呂もなく白蟻にやられて今にも崩れそうな、イメージ通りの建物に住んでいた。扉にはサイズの合わない建具が使われていて、恥ずかしそうに「これからちゃんと直すつもり」と云う。中に入るとまず山のような古いものに圧倒される。入って右手のガラスで仕切られた部屋の奥には活版印刷機や大量の活字や道具が所狭しと置いてあった。
柱には小さく「凹凸舎」と書かれた表札がかかっている。
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かつて、墨田区に「サンキ印刷」という名の小さな印刷所があった。世の中は写真植字が主流になり、さらに訪れたデジタル時代の波に押し流されて下町の印刷所は廃業に追い込まれることになる。
彼女は取り壊しが決まった工場のことを聞き訪ねてみると、そこには長い間愛用した道具達に断腸の思いで別れを告げようとする主人の姿があった。壁にはそれを受け入れるために書かれた言葉が貼られている。
「モノを大切にするという事は
愛着を持つ事、
使わずに忘れ去ったモノに
愛着が持てるはずがない。」
この言葉に触れ、そしてそこに佇む使いこまれた物の美しさに魅せられてここで終わらせずに、全てのものを請け負うことにしたと云う。
これが、凹凸舎の始まりだった。
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何年か経って、この道具達を6×6のフィルムカメラで撮影しプリントしたものを見せてくれた。
黒く滑されたテキン。
古色に染まった手作りの紙箱。
鈍色に光るヘルベチカ。
囲み罫のコンポジション。
鄙びた紙の束、
潰れたハイライト……。
2006年、サンキさんこと山崎真男氏はこの世を去ったが、紛れもなくこの作品群の中に職人の魂が写っていた。
18点のモノクロのプリントを前に
「今ここにあった事実を写真集として残したい」
と云う。
失われそうな光を見つめる姿と目の前の黒く美しいプリントを見て
「いいね、作ろう」
と云った。
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出版から13年
この本を眺めている。
塊はひっそりと佇み、しかしなお一層、黒い光を放っている。
私達が過去の光を捕まえようとして共有した時間は、本を作るという現前の「もののつづき」として私達よりも先の未来の光を覗いてることだったんだということが今になって分かった。
Lumen2
本文の縢り糸をサンキさんの使っていた結束糸に近い色にして、亜鉛活字をイメージしたグレーの固い板紙に本文を張り合わせた。文選して組版して結束する活版印刷の工程のような造本にしている。背表紙も背丁を剥き出しにして、印刷と製本の構造が見えるようにした。
ゼラチンシルバープリントのようなコクを表現するために、ヴァンヌーボという紙に黒と特色グレーのダブルトーンと黄色を混ぜたニスを乗せている。
使われないと反対向きで使われて初めて正向きに読める活字。
道具のつづきがここから始まるようなタイトル文字にした。
モノの存在感と生きた証が
本のカタチに現れるように。
「もののつづき」
大沼ショージ写真集
2009年 凹凸舎刊
187×233mm
コデックス装 40p
装幀/サイトヲヒデユキ
翻訳/ロバート・ダックワース
サイトヲヒデユキ(装幀・造本家)
装幀・造本設計・グラフィックデザインに携わり東京と沖縄を拠点に活動。東京・高円寺にあるデザイン事務所併設のギャラリー『書肆サイコロ』主宰。古物商。活版印刷業。
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