読めもせぬのに|渡会源一
12|はやく、ひとりで
英会話やピアノの技量を手っ取り早く身に付けたいと云う人は多い。そういう習い事の場としては、YouTubeの様な媒体は打って付けなのかも知れない。英会話や楽器ばかりではなく着付でも本格的なフランス料理でも、何でもありである。忙しいことを主張することでマウントを取り、他者との繋がりを求めながらも、指図されたり叱られたりするのは嫌だと云うのは、一種の現代の病であり、何事も手早く独りでと云う傾向は、私にも在ることは在る。
ところが近世の都市生活者、詰まり江戸の町人達も同様の性向を持っていたようである。試しに「国書総目録」辺りを「早指南」や「独稽古」の語で検索してみると、山のような書物に出逢う。
料理や絵、手紙の書き方、裁縫や囲碁・将棋、抹茶・煎茶、立花の類は、有って当然といった所である。さすがにピアノや英会話はないけれど、三絃(三味線)はあるし、英語も明治の初期になると登場する。浄瑠璃から蹴鞠に至るまでの様々な教則本や、計算術・算盤術、裁縫などの実用書も多く、中身は確認できていないが『医療早指南』の様に応急処置、或いは家庭医学を想像させるような書目もある。
漬物の指南書『漬物塩嘉言(つけものしおかげん)』より
『三絃獨諬古』より(トップ画像も)
『三味線独稽古』より
明治初期に刊行された『英語独稽古』より
手品(手妻)については隠し芸として人気があったようで、何種類も刊行されていたようだ。
こんなものにまで指南書が必要なのかと思わせるのが、『駝(駄)洒落早指南』。駄洒落とか地口は教えられて習得するものなのだろうかと、少々訝しいのだが、洒落者気取りの江戸っ子としては、気の利いた地口を操ることも、無くてはならない教養だったのかも知れない。
『手品独諬古』より
『駝洒落早指南』より
書目からは中身が捉え難いのが、『声色独稽古』と『拳早指南』である。前者は勿論、声色を真似するための教則本であることは判るものの、本を通じてどのように身につけるのかが疑問である。おそらく歌舞伎役者の顔や仕草、そして声音は、江戸っ子達にとっては知っていて当然の常識に類するものだったのだろう。それがあって初めてテキストや図像で声色が指南できるのだ。
後者は無論の事、拳法の指南書ではない。どちらかというとじゃん拳に近い。いわゆる「数拳」に強くなるための本である。数拳は二人が互いに片手の指で数を示すと同時に双方の出した数の合計を言い、当たった方が勝ちという他愛のないもので、江戸後期には大の大人が夢中になった代表的な手遊びだった。
これらの「早指南」や「独稽古」を見ていくと、こんな物で何かを身に付ける役に立ったのかという疑念が湧く。それはしかし、現代の殆どの実用書でも同じなのではあるけれど。
『聲色獨稽古』より
『拳獨稽古』より
渡会源一(わたらいげんいち)
東京都武蔵野市出身。某財団法人勤務のかたわら、家業の古書店で店員見習い中。
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