読めもせぬのに|渡会源一
16|ちりとてちん
『豆腐百珍』(1782)は、江戸の料理本の代表格である。文字通り百種の豆腐料理を紹介したもので、ベストセラーにもなり、「続篇」や「余禄」もつくられている。高津湯豆腐、草の八杯豆腐、油煤豆腐、雲かけ豆腐、稭豆腐、六方焦着豆腐、賽香魚、空蝉豆腐、苗鰕豆腐、加須底羅乳、辣料豆腐、雪消飯あたりは、料理名からは味の想像がつかない。
『豆腐百珍』巻頭言
『豆腐百珍』巻頭図版
以下は、『豆腐百珍』目録(目次)、本文には図版はほとんどない
以下は、『豆腐百珍』続篇より
柳の下のドジョウを狙った、『甘藷百珍』『海鰻百珍』『蒲鉾百珍』『香物百珍』『蒟蒻百珍』『鯛百珍』『玉子百珍』『飯百珍』『柚百珍』なども次々に刊行されている。
上は『甘藷百珍』より
以下は『飯百珍』より
ところでこの「豆腐」という名称がちょっと腑に落ちない。発酵食品でもないのに「腐った豆」である。余り穏当な名前ではない。腐った豆腐なら、落語の「ちりとてちん」(江戸では「酢豆腐」)だ。かつては豆腐と納豆の呼称が入れ替わったとする説があったが、否定されている。
豆腐の起源は、前漢時代の劉安によるともされるが、当てにはならない。日本への伝来は、遣唐使によるとも鎌倉時代の禅僧によるともされており、これもあまりはっきりしない。何れにしても東アジアや東南アジアでは、一般的な食品である。それでもやはり日本を代表する食材の一つであることに異論はないだろう。
丸いものもあるが、基本的に豆腐は、真っ白な直方体である。絵心がなくても誰でも描くことができるほど単純である。世界で一番シンプルな形状の食材であると言ってもいいだろう。『豆腐百珍』がベストセラーになったのは、このシンプルさ故なのかもしれない。白い直方体をどれだけ多様に変化させるかに、一つの眼目があったのだとも思えてくる。それは熨斗で様々な形を表現するのにも似ている。いや、一枚の紙から森羅万象、あるいは多彩な鶴を折り上げようとする折り紙にこそ、通じるものがある。
以下は『秘傳千羽鶴折形』より
穿った言い方をするならば、「素」から「彩」を生み出す、そのやり方に日本らしさを見ることだってできそうだ。
もしかすると『豆腐百珍』の料理は、尋常品、通品、佳品、奇品、妙品、妙品などのカテゴリーに分けられてはいるものの、味は二の次であって、「ちりとてちん」が収録されていたって、おかしくはなかったのである。
渡会源一(わたらいげんいち)
東京都武蔵野市出身。某財団法人勤務のかたわら、家業の古書店で店員見習い中。
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