読めもせぬのに|渡会源一


18|二人梅園


江戸時代には、気になる二人の梅園がいる。一人は豊後国東の医者にして自然哲学者、三浦梅園(1723−1789)である。国学者でも蘭学者でも漢学者でもなく、独自の条理学を構築した。生涯のほとんどを故郷、国東の地で過ごしたことでも知られる。著作は『玄語』『贅語』『敢語』の梅園三語が有名。ただし主著の『玄語』は37年の歳月を費やして、ついに完成できなかったそうだ。何度か読み込もうと努力はしてみたものの、全く歯が立たない。それでも気になり続けているのは、『玄語』に収録されている所謂「玄語図」による。約140点の玄語図は、今風に表現するならダイアグラムであり、全てがほぼ真円に収められている。それらは一見、平面的でありながら、実は解読するためには、読み手の頭の中に三次元、さらには四次元の空間を設定しておかなければならないようだ。西欧にもダイアグラム表現の得意なライムンドゥス・ルルスやロバート・フラッドのような人はいるが、梅園の玄語図は西欧のそれらを圧倒的に凌駕しているように思える。

『玄語』より「玄語図」

もう一人の梅園は、幕府旗本の毛利梅園(1798-1851)である。こちらは本草学者で事績も絵が中心なので、三浦の梅園よりもずっととっつきやすい。特に植物への関心が深く『梅園草木花譜』あたりがその代表作になるが、キノコをテーマにした『梅園菌譜』や介(貝や殻や甲羅のある動物)を描いた『梅園介譜』、さらには『梅園虫譜』『梅園魚譜』『梅園禽譜』などもある。椿の諸品種を模写した『梅園海石榴花譜』も出色だ。残念なことに毛利梅園は三浦梅園ほどには評価されることはないし、本草図鑑の分野でも岩崎灌園や高木春山の業績には一歩譲るといったところだろう。ただし本草学では、この毛利梅園のような旗本や地方武士がかなり大きな役割を果たしている。「旗本退屈男」ではないけれど、旗本っていうのはよほど暇を持て余していたのだろうな、などと失礼なことまで考えてしまう。

『梅園草木花譜』春之部より

『梅園草木花譜』夏之部より

『梅園草木花譜』秋之部より

『梅園菌譜』より

『梅園介譜』より

『梅園介譜』より

『梅園禽譜』より

以下は『梅園海石榴花譜』より

 

渡会源一(わたらいげんいち)

東京都武蔵野市出身。某財団法人勤務のかたわら、家業の古書店で店員見習い中。


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