読めもせぬのに|渡会源一


21|イグアナの歯


ラジオの「子ども電話相談室(正しくは「子ども科学電話相談」)」で時折、恐竜が特集される。昨今の恐竜少年、恐竜少女たちの知見にはいつも舌を巻く。私もかつては恐竜少年の端くれだったが、せいぜい30種程度の恐竜名を諳んじて見せる程度だった。それもプテラノドン(翼竜)やイクチオサウルス(魚竜)のような恐竜ではない中生代の大型爬虫類を含めてのこと。何しろその後、現在までに発見されている恐竜は1000種を超えるのである。しかも研究の進展とともに恐竜像も大きく変化し、その多くは鳥のような羽毛に包まれていたとされるようになった。その鳥類にしてからが、恐竜類の1グループであることになっている。

恐竜(Dinosaur:恐ろしい蜥蜴の意味)の命名者は、リチャード・オーウェン(1804-1892)である。日本では当初「巨大ノ死虫」と呼ばれたが、古生物学者、横山又次郎が「恐龍」の訳語を当てた(1894)。オーウェンはイギリスのキュヴィエと称された人物。キュヴィエは、骨の一片があればその全体像を復元して見せると豪語し、生物学史の大事件である「アカデミー論争」(1830)では、ジョフロワ・サンティレールを相手に議論を戦わせている。

巨鳥モアの骨格標本とリチャード・オーウェン

オーエン『Palaeontology; or, A systematic summary of extinct animals and their geological relations』よりヒラエオサウルスの化石

オーエン『Palaeontology; or, A systematic summary of extinct animals and their geological relations』よりメガロサウルスの顎の化石

オーエン『Palaeontology; or, A systematic summary of extinct animals and their geological relations』よりイグアノドンの歯の化石


オーウェンが「恐竜」の名付け親になった時まで、大型化石爬虫類はイグアノドン、メガロサウルス、ヒラエオサウルスが知られていた。最も知名度の高いイグアノドンの名称の意味は「イグアナの歯を持つもの」であり、オーウェンはイグアノドンの復元像も制作している。四足歩行でその鼻の上には一本の角があると云う姿だった。その立体像は、第一回万国博覧会でロンドンに建設(1851)され、1936年に焼失するまで存在したクリスタル・パレス(水晶宮)で展示されることで大人気を博し、イグアノドンの名を広く世に知らしめた。だから恐竜少年だった私もその名は良く知っていた。

当初のイグアノドンの復元図。ジョージ・リチャードソン『Sketches in prose and verse』(1838)より

H・W・ビストウ『The world before the deluge』(1872)に描かれた凶暴なイグアノドンとメガロサウルスの闘争

1851年ロンドン万国博覧会の水晶宮

『ロンドン・イラストレイテッド・ニュース』より作成中のイグアノドン復元像

クリスタル・パレスでのイグアノドン晩餐会

筆者少年期のイグアノドン復元図

ただしオーウェンの復元像は間違っていた。角とされたのは親指の爪だったのである。しかも私の知っていたイグアノドンは二足歩行する草食恐竜の代表格だった。ステゴサウルスやトリケラトプスやティラノサウルスほどは個性的ではないものの、「サムアップ」して二本の足で立つこの恐竜はそれなりの存在感を漂わせていた。
ところがである。最新のイグアノドンの復元図は、四足歩行に戻っている。巨大ではあるものの地味な姿の蜥蜴になってしまった。それはそれで、当のイグアノドンにとっては、どうでもいいことなのだろう。

近年のイグアノドン復元図

 

渡会源一(わたらいげんいち)

東京都武蔵野市出身。某財団法人勤務のかたわら、家業の古書店で店員見習い中。