読めもせぬのに|渡会源一


22|お上りさんになれなかった人の為に


「洛中洛外図屏風」と云うものがある。上杉本(1565)や舟木本(1614 or 5)などが有名どころ。洛中洛外図が描かれるようになったのは16世紀の初頭であり、16〜17世紀にかけて盛んに作られた。同じパノラマ絵図であっても、「宮曼荼羅」や「二河白道図」のように絵解きされることは余り無さそうだ。これを観る人、或いは所蔵者にとっては、そこに描かれている対象など、説明されるまでもないと云うものなのだろう。ただ、京の歴史や街並に疎い者としても、判らぬままに眺めていて、飽きることがない。

近世は物見遊山の時代だとも云われる。しかし実際に遊山の旅を実行できるのは、ごく一部の人々だったはずだ。それでも江戸時代には、現代の観光ガイドのような「名所図会」が数多く刊行されている。各地の名所旧跡の由緒縁起や伝説が絵図とともに紹介されており、代表的なものは角川書店版の『日本名所風俗図会』(全18巻)に纏められている。江戸とともにやはり京都を題材にしたものが多い。角川版に収録されているだけでも『京童』(1658)、『京童跡追』(1667)、『都林泉名勝図会』(1799)、『花洛名勝図会』(1862)、『宇治川両岸一覧』(1860)、『都名所図会』(1780)、『拾遺都名所図会』(1787)、『帝都雅景一覧』(1809−16)の8点に及ぶ。今でも女性誌などで企画に行き詰まると都を特集するように、当時の出版界でも京都は鉄板ネタだったのかもしれない。当時の京都案内の代表格は秋里籬島の『都名所図会』あたりではあるのだが、秋里籬島については稿を改める。

何れにしても、時代が下るに従って、絵図は写実的になり、解説は詳細になってゆく。ただし味わいというか可笑しみという点では、初期のものに軍配を上げたい。まだ見ぬ、というか生涯訪れることの叶わないであろう都への憧憬と想像力を掻き立てるということでは、稚拙で紋切り型のようにも見える最も古い京都案内記『京童』が、群を抜いている。作者は俳諧師の中川喜雲(1636?-1705)である。「そうだ京都、行こう」などとは気軽に言えない時代だからこそ、魅力に溢れている一冊だと思う。

まずは、内裏から

誓願寺/和泉式部の故事


腹帯の地蔵/目やみの地蔵

四条河原歌舞伎

祇園/知恩院

円山/双林寺

八坂の塔/三年坂

将軍塚/清水

三十三間堂/御影堂

五条の天神/羅生門

五条の天神/羅生門

神泉苑/二条城

賀茂/南禅寺

宇治/山崎

鞍馬/僧正谷

貴船/比叡山

愛宕山/清滝

小倉山/嵐山

 

渡会源一(わたらいげんいち)

東京都武蔵野市出身。某財団法人勤務のかたわら、家業の古書店で店員見習い中。


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