読めもせぬのに|渡会源一


26|数寄より耽奇


『尾張名所図会』より「薬品会」

前回、明治維新後、日本ではなかなか博物館や美術館の意義が理解されなかったことに触れた。江戸期にも薬品会や物産会のような催しはあったが、後世、美術工芸品などと呼ばれるようになるものは、本来陳列され鑑賞されるような対象ではなかったのである。それらは生活とともにあった。しつらいそのもであったと云っても良い。財力や社会的地位あってのこと、という見方もできる。ただ現代の美術館で収蔵展示される浮世絵や生活雑器(一部は「民藝」とも呼ばれるようになった)は、もとより庶民のものである。
とはいえ、自分の所有物を見せびらかしたい、自慢したいという欲求は抑え難い。茶会を催して、お軸や茶器を控え目に披露するくらいでは収まらないのである。
同好の士が集まり、書画骨董や刀剣の類を見せ合うという集まりも、結構頻繁に行われていたようだ。そんな集いの1つに「耽奇会」があった。ただし美を愛でるのではなく、その名のように奇に耽るための会である。その根底にあるのは審美心ではなく好奇心なのだ。そのあたり、前回のヴンダーカマーにも通じる。
耽奇会は、文政7年(1824)5月15日に、上野不忍池畔の淡々亭で第1回目がスタート。以降毎月13日に開催され、計20回開かれた。出席者は多くて9人ほど、中心メンバーは、国学者の山崎美成と屋代弘賢、書家の関思亮、柳川藩士西原梭江、戯作者曲亭馬琴、茶商亀屋久右衛門。なかなかの顔触れである。勿論、実際に面識はないが、面倒臭そうな人物が揃っている。
幸運なことに、「耽奇会」に持ち込まれた事物の絵入り記録が残されている。『耽奇漫録』である。通覧した印象は、多くは我楽多の類だ。しかし当時の錚々たる「文化人」が、こんなものを嬉しそうに見せ合って、時には激しい口論までしている様を想像するにつけ、無性に羨ましくもなる。

「慳貪汁注子」。慳貪(倹飩)は、戸や蓋を上げ落としにして溝に嵌め込む箱のことだが、慳貪の名の由来について、山崎美成と曲亭馬琴の間で激論が交わされたという

「歌舞伎元祖露考楽屋入酒器」。露考は、瀬川路考か?

「古面」

「奥州白川甲子山温泉常用椀」。さして奇品であるとも思えない

豊臣秀吉から猿楽師、大蔵大夫に贈られたという肩衣

ブッポウソウの図だが、実際のブッポウソウとも「声の仏法僧」と呼ばれるコノハズクとも異なる

「大根おろし」。4種が紹介されているが、いずれもとりわけ珍しいものではない

魍魎と水虎(河童)の手

蝦蟇の文房具

柿本人麻呂のように見える天然石

「聖徳太子御衣の切」

荻生徂徠による手作りの枕

蟹殻を利用して作られた安房漁師の家の厄除けの門掛

沼津西光寺の納豆箱

古代(?)の蕎麦切箱

この「耽奇会」を母体のようにして、まもなく「兎園会」が発足する、こちらは「もの」ではなく「珍談・奇談」を披露し合う会。その記録が『兎園小説』であり、一般にはこちらの方が有名である。

『兎園小説』には挿絵は少ないが、これは「江戸のUFO」として知られる「うつろ舟」の図

 

渡会源一(わたらいげんいち)

東京都武蔵野市出身。某財団法人勤務のかたわら、家業の古書店で店員見習い中。