読めもせぬのに|渡会源一
8|道々の人々
「道々の者」と呼ばれる人がいた。元々は芸道や学問の道、つまりは弓道や歌道などの「道」に秀でた人を指していたようだが、やがて道そのものを往来する者、漂泊する遊女や芸人、職人、そして宗教者達のことになり、中世の流通経済の担い手とされることもある。そこでは、職、芸、信の境界は曖昧模糊としていた。定住者から見れば、道々の者は異人でもある。得体の知れない連中であり、ときに来訪神となり、ときに鬼や妖怪の仲間と見做されたりもした。
「職人歌合」というものがある。著名なものに「東北院職人歌合」や「七十一番職人歌合」などがある。実際には貴族たちがこしらえたようではあるが、貴人や武家ではなく、ましてや町人や「百姓」でもなく、職人による歌を集めたという体裁になっており、道々の者に特殊な能力や心性や霊性があると思われたことに仮託した歌集なのだろう。多くの絵巻物も造られてもいる。
近世には冊子本も刊行された。かつての「百鬼夜行絵巻」などでは集団として描かれていた妖怪が、江戸期になると夫々の「鬼」が名づけられ特徴づけられ、鳥山石燕の「画図百鬼」シリーズに代表される妖怪博物図鑑になったように、職人たちも「歌」から切り離され『和国諸職絵尽』や『人倫訓蒙図彙』のように型録化された。この辺りになってくると役職としての「職」も多く収録されており、「職人」は定住者の方が圧倒的に多くなっている。
個人的には、長谷川光信の『絵本御伽品鏡』と『絵本家賀御伽』が気に入っている。舞台は大坂や京都(一部近江、江戸)であり、街中の職人、芸人たちが描かれている。中には名物店も含まれていて、もとより道々の者だけを対象とした本ではないが、兎に角愉快である。いわゆる大道芸の中には、今から見ると、よくぞこんな芸で生業がなりたっていたものだと感心し、呆れるような例も少なくない。それだけ世情が長閑だったのだろうか、それとも逆に過酷だったのだろうか。冒頭の図は『三十二番職人歌合』(1494)の江戸期の模写だが、それにしても自分の胸を叩くだけの「胸叩(むねたたき)」はあんまりだ。そんな芸に金銭を払う方も払う方だが、当人の焼糞ぶりを想うと、何だか愛おしくもなってくる。
『絵本御伽品鏡』より「萬歳楽」と「蓬艾賣」。いわゆる三河萬歳は、三河出身の太夫が日本橋で相方となる房総出身の才蔵を雇って、あるいは約束相手と落ち合って、門付をまわる。
『絵本御伽品鏡』より「寒行」と「六十六部」。寒行は冬に水を浴びるだけの大道芸。
『絵本御伽品鏡』より「堺庖丁」と「傀儡師」。傀儡師は人形遣い。
『絵本御伽品鏡』より「豆蔵」と「人形廻し」。豆蔵は物真似や曲芸を行う。
『絵本御伽品鏡』より「米まんぢう」と「面の糯(もち)屋」。
『絵本御伽品鏡』より「猿廻し」と「螢売」。
『絵本御伽品鏡』より「返魂丹」と「神子」。反魂丹は越中富山の胃腸薬、神子は口寄せを行う巫女。
『絵本御伽品鏡』より「百日行人」と「天満飴売」。
『絵本御伽品鏡』より「枕の曲梯子の長兵衛」と「貝(ばい)まはし」。貝まはしは、ベイゴマ。
『絵本家賀御伽』より「団扇屋」と「手車賣」。手車は西洋のヨーヨーのこと。
『絵本家賀御伽』より「都鳥」と「ちょろけん」。都鳥は経木製の玩具、ちょろけんは大きな張子をかぶって行う芸。
『絵本家賀御伽』より「狐舞」と「蛇遣い」。狐舞は、狐の面をつけて竃祓(かまどばらい)をする者。
渡会源一(わたらいげんいち)
東京都武蔵野市出身。某財団法人勤務のかたわら、家業の古書店で店員見習い中。
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