やるまいぞ、やるまいぞ|遠藤利男
2|このあたり
「これは、このあたりに住まいいたすものでござる。今日も、都に流行る『狂言』の話をいたしたいとぞんずる」と私、ここに出てまいりました。
前回「何もない空間に人間が現れれば、そこに劇が生まれる」と申しました。そのあとを省略したので、少し補足します。
確かに私が出てくる前は、ここは、「何もない空間」でした。いや、能楽堂は何もないわけではありません、舞台の床があり、四隅に柱があり、正面奥には松を描いた鏡板という壁があります。それらに囲われた空間が、「何もない」空の舞台ということです。
近代の演劇の主流は、リアリズムでした。我々が慣れ親しんだ舞台は、言い慣らされた言葉で言えば、「第四の壁」を取り払った、明日からでもわれわれが生活できるような場として、さまざまの物で飾られていました。そのような目からすれば、確かに何も見えません。しかし、見えない何かが存在するのです。「気」というか、「エネルギー」というか、見えないあらゆる可能性を秘めたポテンシャルが静かに漲っています。
それは、客席も同じです。舞台と同じ空間の広がりです。そこに一人の客、例えばあなたが座る。客席の「気」が変わる。あなたは舞台に「見えない何か」を見て感じようと視線を向ける。すると、あなたの身体から「エネルギー」のようなものが発射され、波動となって舞台に伝わり、「何もない空間」の「気」を揺さぶり始めます。そこへ演者が、新しい「気」を持って登場します。その「気」とともに、「何もない空間」のあらゆる可能性を秘めた静かなポテンシャは立ち上がり始めます。
そして、客席のあなたの想像力は、演者の扱う「扇」を盃や徳利・のこぎり・筆などに「見立て」たり、或いは橋掛かりを峻険な猛吹雪の峠道と思い描き、また不老長寿の薬があるという東方の蓬莱の島の鬼が、節分の夜、鬼除けに撒かれた豆を食べに日本へ行こうと言えば、ひと節の謡と数歩の舞で、日本にやって来てしまうという時空の圧縮を、自然に受け入れ、楽しむようになっています。
さて、私の名乗りは「これは、このあたりに住まいいたすものでござる」でした。「このあたり」とは「どのあたり」かと問われれば、先ず、現代の人への答えとしては、そう、皆さんの住んでいるそのあたり、少数の富裕層でもなく、そう貧しくもない人々の住んでいるそのあたり、地球上どこにでもあるような街の、どこかです、と答えるでしょう。
いや、今の話ではなく、猿楽が狂言らしくなった室町時代には、観客はどのあたりのことを想像したのでしょうか。確かに狂言の登場人物のかなりの者が「このあたりに住まいいたす者」と言っています。他の者は、「洛外に住まいいたす」、「遠国〈おんごく〉に隠れもない」、「田舎出の」、「佐渡の百姓」「若狭の小浜の昆布売り」などとその住まいを明らかにし、居所不定の詐欺師・スッパは、「洛中を走り回る」と名乗ります。そうです「このあたり」は、当時、幕府があり、商工業の中心でもあった洛・ミヤコ・京都です。
その広い都の何処か。大酒飲みの妻を離縁し、新しい妻を授かりたいと願懸けに行く五条の因幡堂に近く(『因幡堂』)、若く美しい妻を授かりたいと男が願懸けに行く五条坂上の清水の観世音に遠くなく(『二九十八』)、近所の若者衆を集めて流行りの連歌の初心者講習会を開き、その衆の頭になったり(『千切木』)、祇園会の山鉾を支える人々の相談会の頭になったりする「町衆」が(『鬮罪人〈くじざいにん〉』)住んでいる地域下京。男が三年のビジネス旅行の後京に戻った時、先ず行く本妻が住むところ下京(『鈍太郎』)。満月の夜、盲目の座頭が上京の男に引き倒され、不条理を呪いつつ戻るところが下京(『月見座頭』)。室町時代300軒もあったといわれる金融業も兼ねる酒屋の集中する下京。現在の二条から南、九条あたりまで、多様な職業人とその生きるエネルギーの渦巻く街が、「このあたり」でありました。(「このあたり」については、三世茂山千之丞師の新作狂言「このあたりの者」があり、何年か前に見て大変おもしろかったが、大筋しか記憶していないので、私なりの探索をしました)
さて、冒頭に戻ります。「何もない空間」に登場してきた人物は、「名乗り」では「ナニナニいたそうと存ずる」と観客に向け明言します。彼が、何かをしようと欲する、そのことが、これから起きる出来事の発火点になるのです。この狂言の始まりパターンは、私の知っている限り、世界の演劇では、稀有の、いや唯一かも知れない始まりです。
*トップ画像は「画像異本糺河原勧進猿樂記」(東京大学総合図書館所蔵)より
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