川で猿投を拾う|橘 岳
3|川の四季
夏の花、芙蓉と土師器
これを書いているのは酷暑の最中だから、涼しい季節の川の話から始めてみたいと思う。それは又僕が一番好きな川の季節だからでもある。
秋が深まり冬に向かう、そうした季節の川は静かだ。もはや台風の襲来もなく、僕らの心をざわめかす大きな水位の変動は期待できない。水位は低目で安定しているが極端に下がるということも少ない。農業用水の取水が減るので、ダムには余力があるのだろう。水は日に日に澄み冷たさを増すけれど、釣り人用のウェーダーの中にいくらか厚く着込んでゆけば、辛さを感じることはない。この時期の川にはあちこちに落ち鮎が集まってくる。1年という寿命の中で生きる鮎は秋が深まる中、産卵場を求め川を下るのだ。河原には命が尽きてゆく鮎を狙って黒ずくめの鵜たちが集う。僕たちが川の水をかき分けてバチャバチャと洲から浜へと動いてゆくと、鵜達も迷惑そうに飛び立ち、鮎を待ち伏せる汀を変えてゆく。鮎も散ってしまうし、鵜は僕たちを疎ましく思っていることだろう。産卵し子孫を残し僅かばかりの余命を生きる鮎達は、やるべきことをやってしまった満足感の中にいるのだろうか。もう餌も口にしないだろうし、生存と再生産の切迫から解放され、ユラユラと川面を漂う鮎達の心境を聞いてみたいような気がする。生とはどんなものだったのか。
川歩きで出会った友人夫婦に落ち鮎を釣りに連れて行ってもらったことがある。そこは、数こそ少ないが素晴らしい遺物が見つかることのある場所なのだが、この時期は夫婦の鮎釣りのポイントにもなる。釣りは夕暮れを待って始まり夜半まで続く。鮎が光を嫌うということで月明かり、星明かりを頼りに暗闇の中で行われるのだが、眼は次第にそれに慣れてくる。数を求める釣りでは、根掛かりに気をつけながら正確に仕掛けを投げ込み、手返しよく釣ってゆくのがコツである。多点仕掛けの引っ掛け釣りなので、暗闇の中、針同士が引っ掛かったりとトラブルは絶えない。釣れる鮎には卵を抱えた大きなメスの鮎も交じるがどういうわけかオスが多い。中指ほどの小さなものから20cmを超えるものまでが一処に集って産卵するのだから、これでは誰の子か分からないな、と思うのだが、鮎たちはそんなことは気にしないのかもしれない。源流にイワナやアマゴをキャッチアンドリリース前提で釣りに行く高級な釣り師からは「ガリ引っ掛けだろ」と、そんなものは釣りとは呼べないとばかりの言葉を投げかけられたことがあるが、こうした釣りだってあってよいはずだ。上流に散った鮎を獲るよりは落ちて大きな群れを作っている鮎を獲るほうがはるかに効率がよいことだろう。むろん落ち鮎は痩せてはいるがこの川の流域に住んでいた古代の人々も、きっと落ち鮎をたくさん獲ってはムシャムシャ食べ、長く辛い冬を乗り切るための活力を得ていたのだと思う。実際に弥生時代の遺構からは簗の跡が見つかったり釣針や鮎の骨がみつかることもあるという。
数時間で婚姻色の鮎で袋は一杯に
いつもの塩焼きや甘露煮に加えて今年は干し焼きに挑戦してみたい。干し焼きとは出汁用に、落ち鮎をカラカラになるまで炭火で焼きながら干し上げたものである。大晦日にこの鮎から出る黄金色の出汁で蕎麦を食べるのだ。
秋の日はつるべ落としと言ったものだが、この時期の夕暮れは驚くほど早い。温かい午後を狙って川に向うと、あっという間に落ちてゆく夕陽に驚かされることになる。自分たちの影法師も長くなり河畔の樹木やちょっとした茂みも川面に長い影を落とす。日が短くなるというのは何処か寂しいものである。一年という時間の経過(とその速さ)を思わずにはいられない。歩き疲れ、探すという果てしない行為に付き纏う気怠さ、疲れた心と身体は晩秋の川の夕景の中で安らうことができるようだ。川はこの時期、一年間の河床変動で生じた剰余を分配するかのようにぽつりぽつりと遺物を僕たちの目の前に現してくれる。
晩秋に川で見つけた可愛らしい小壷。弥生時代終末期のもので頸の辺りにほんの少しだけ赤彩が残っている
寒さが増しいよいよ本格的な冬が訪れる。この時期河床は、澄んで浅くなった水が光を良く通すためか、流れの緩いところから順に苔に覆われる。遺物の表面にも当然苔がつき、こうなってしまうと探索は難しくなる。おまけに冬は北風が強く吹く日が多い。川歩きに風は大敵で、強風で水面が波立ってしまうともはや水中を見通すことはできなくなる。空気は清らかで遠く雪山を臨むことができる。吹きっさらしの河原では特に冬の北風は心身に堪える。いつの季節でも理想の天気は無風快晴だ。
僕らは冬にはあまり川にいかない。冬は樵の季節で、山で木を伐り薪を作る仕事が忙しいからだ、というのが一応の理由だ。心理的に川から少し距離をとりたくなる、冬は僕にとってそんな季節なのかもしれない。いつか遠地での大地震がこの地も揺らしたことがあり、河床がシェイクされたかもと思い真冬の川に向かったが川は静かであった。幼い頃から川の傍に住み、川をよく知る友人は、「あまり川に行ってばかりいると川ボケするぞ」というのだが、当の本人は冬にもよく川に入る。そしてそれなりの成果を上げている。落ち鮎釣りに連れてってくれる友人のことである。一見して眠ったように静かな冬の川でも、河床は少しずつ動いている。そして動いている限りはチャンスはあるということなのだろう。
春が近づくと段々とまとまった量の雨が降り始める。30mm、50mm、このくらいの量の雨が降り出すと再び水位は目に見えて動き出す。いつしか河床を覆っていた苔も消えてしまう。山間の僕の家の周りでは5月の連休前くらいまでは遅霜が降りることがある。そんな早朝に川に向かうと、川には靄が立ちこめている。桃色に霞む朝焼けの空から朝日が川面と漂う靄を照らす。僕はその中を掻き分けるように進む。縹渺とした景色だが土手道を急ぐ通勤の車からは僕が見えているのだろうか。靄は程なくして消えてしまう。
春の雨の後の浜 猿投の瓶が転がっているのが見える
梅雨時から秋の台風シーズンにかけては100mmを超える雨がいつ降ってもおかしくない状況が続く。大雨は川の状況を一変させる。それは出涸らした川に新たな命を吹き込む偉大なリセットだ。ただ、雨にも良い雨とあまり良くない雨がある。量が多くともすぐ水が引く雨はあまりよい変化をもたらさない。1週間、10日といつまでも水が引かない雨の後には遺物そのものも出やすいし、よい方向の河床の変化や、すぐに実るかどうかは別として何か新しい兆しのようなものが見つかることが多い。長く引かない増水は洲の形や川の流路そのものを変えてしまうのだ。川が変化するから遺物は出る。もちろん変化を感じ取るには川に平素から通いそもそもの川の形をよく知っておく必要はある。まあ、何も知らず初めて入ったような人が綺麗な猿投を拾うようなこともあるのだが……。どの世界でもビギナーズラックはあるのだろう。
僕達が夢見るのは大雨の後長く閉鎖された無垢の中洲に誰よりも先に自分の足跡をつけることである。急ぎすぎては危険だし、悠長に構えていては先を越される。なんとももどかしいタイミングを見計らう待ちの時間である。
この川には主(ヌシ)の様な人がいる。仮に川爺とでも呼ぼうか。川爺の本名を僕は知らない。皆この人のことを◯◯屋さんと職業で呼ぶ。80は優に超えているとか、90近いという話も聞く。ある大雨のあと、僕は機会を見計らい、やや高い水位で中洲に渡った。こういう日は妻は連れて行かず単独行動だ。しかし中洲にはしっかりと、先行者の足跡がついていた。目撃した友人の話からそれは前日の川爺の足跡であったことが知れる。前日の水位はまだ相当高かった。彼はお決まりのオレンジの救命胴衣を着ているが、足のつかぬ濁流の中を渡ったということになる。どうしてこの時、川爺がこんなに無理をしたのか僕にはわからない。行ってみたら思いのほか川が深かったのか、何か特別な勘が働いたのか。この時、二番手だった僕は良い遺物を見つけた。一番手がすべてをさらってゆくゲームではないところが川歩きの面白さと深さである。
もう何人もの人が歩いた足跡が残る浜に忽然と現れる須恵器。川の不思議。不思議すぎてシュレディンガーの猫のことを考える。「遺物があるかどうかは観測されるまでわからない」と。行きに見つからず帰りに見つかるはよくある話
最近は川で出会っても川爺に声を掛けることはない。話しても過去の自慢と「もうここも出ないから来てもしょうがない(と言って自分は通う)」という狸がかった芝居があるだけだろう。この川の遺物はキラキラの猿投も、平安緑釉も、弥生土器も、そしてまだ見ぬXも、一度砂から顔を出した遺物は、誰かがそれを世話しなければならない。川の自然は甘くないし、次はないと思っておいたほうがよい。そういう意味では川爺はもっとも遺物を救った人だともいえそうだが、芳しくない噂も多い人だ。その中の一つは、噂ではなく一部始終を傍で僕自身が見聞きした。
以前ほど年配の人を川で見かけなくなった。川の第一世代は引退あるいは鬼籍に入ってしまったのかもしれない。最も川で良い思いをした人たちだろう。その穴を埋めるというわけでもないのだろうけれど、幾分遺物が薄くなっているだろう今の川に通う二十代、三十代の若者が現れている。ほんの僅かな数の人ではあるが、川に魅入られてしまう人は今も確実にいるようだ。
*河川で採集された遺物、特に希少性、重要性の高いと思われるものに関しては、当該研究機関、および専門研究者の下へ届け出、研究資料として活用いただいています。
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