忘れものあります|米澤 敬
11|女王とお茶漬け
エリザベス二世の訃報を聞いて、真っ先に頭に浮かんだのは、セックス・ピストルズの「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」とザ・ビートルズの「ハー・マジェスティ」だった。ピストルズの方は英国政治批判の曲であり、「ハー・マジェスティ」は「女王陛下は可愛い女……」で始まるラヴソングである。どちらも最初に聴いたときには、ついつい風流夢譚事件を思い合わせてしまった。こんなの歌って大丈夫なのか。ピストルズはともかく、「ハー・マジェスティ」を歌ったポール・マッカートニーも結構度胸があるな、と感心した。もっともポールの場合、ただ能天気に歌ってしまっただけのような気もする。
そのポールが小学生の頃、エリザベス二世が英国女王になった。戴冠記念の作文コンクールで、ポールは何かの賞をとり、その賞金で美術全集を買った。彼と西洋美術との出会いである。長じたポールは、ルネ・マグリットのコレクターになり、ビートルズが創設したアップル・コープのシンボルマークに、マグリットの「リスニング・ルーム」に描かれた青いリンゴを採用することになる。
自分の場合、日本美術との出会いは、お茶漬けがきっかけだった。今でもお茶漬けは大好物である。冷や飯に味噌をのせたり醤油をかけ回したりして、焼き海苔を散らし、濃く淹れたお茶をかけるだけで満足である。ぬか漬けの数切れもあれば、もうご馳走だと言っていい。
子どもの頃は、永谷園のお茶づけ海苔が我が家に常備されていた。その袋には、おまけとして安藤広重の「東海道五十三次」(55図)シリーズの1枚が同封されていた。こういうものをコレクションしたくなるのは、子どもの性(さが)と言うもの。コンプリートには及ばぬながらも、20種ほどは集めたと思う。特に「蒲原」と「庄野」が気に入っていた。そのうち、おまけに葛飾北斎の「富嶽三十六景」(46図)が加わった(もしかすると新シリーズとして入れ替わったのかもしれない)。北斎の奇抜な構図に目を奪われ、すっかり画狂人のファンになってしまった。その後、母親にせがんで保育社カラーブックスの『富嶽三十六景』を手に入れた。初めて見る「富嶽三十六景」の全貌である。そこにはどうしても納得のいかない絵があった。「相州箱根湖水」だ。生意気にも「なんだよ、しょうもない」と脱力した。何回見直しても凡庸としか思えない。後年になってから、ちょっと見ただけではわからない北斎の隠された意図があるのではと邪推し、何かの引用か見立てなのかとも考えてはみたが、やっぱり箸にも棒にもかかってこない。さすがに富士山を様々に描き分けるにも限界があるのか。でも百通りに描き分けた『富嶽百景』には、こんな「しょうもない」絵は入っていないのだから、ますます得心しがたい。結局、天才とはそういうものなんだと無理矢理納得してみた。天才は凡作をつくることなど、怖れないのだろう。当人は意外に、そんな「しょうもない」ものに結構な思い入れを持っていたりするのだから、凡作だからと言って、簡単にかたをつけるわけにはいかない。考えすぎだろうか。
葛飾北斎『富嶽三十六景』より「相州箱根湖水」。
その後、写楽や国芳や豊国たちも、次々に気になる絵師のリストに加わった。ところがある時期から、浮世絵(錦絵)への関心が急速に薄れていった。彼らの綺想や外連に飽きたのかもしれないし、単にこちらの歳のせいなのかもしれない。
あるとき、荒俣宏氏を通じて、G・バルビエやF・L・シュミド、そしてA・マルティなど20世紀初頭のフランス挿絵画家を知り、また小村雪岱のちょっとしたブームにも刺激され、あらためて浮世絵が気になりはじめた。とくにマルティや雪岱の背後には鈴木春信の影を感じ、春信ばかりを追いかけていた時期もある。ともあれ、これで自分の浮世絵遍歴も一巡りしたとも感じていた。
ところが実は、これまで意識的に避けていた「大もの」がひとりいた。喜多川歌麿だ。美人画や枕絵の印象が強すぎて、敬遠してきたのである。ウタマロという名前も妙な手垢にまみれている。確かに『歌まくら』に見るような空間感覚は、ほかにあまり例がない。そこには画面と想像力の余白の絶妙な按配があると感じていた。近年、ある仕事を端緒として海外の浮世絵コレクションをチェックしているうちに、あらためて歌麿の凄みを思い知らされた。さりげなく凄いのである。当たり前ではあるが、ただの女好きではなかったのだ。未見の作品も多いはずだが、それらをときおり捜してみるのは、ちょっとした楽しみになった。永谷園のおまけを集める喜びと、それほど違いはない。とにもかくにも、お茶づけ海苔から半世紀かけて、ようやく歌麿にたどり着いたというわけである。
海外の歌麿コレクションより、「櫛」(上)と「お染久松」(下)(タイトルは仮称)。
米澤 敬(よねざわたかし)
群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員をつとめ、中学校では卓球部、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。
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