忘れものあります|米澤 敬
13|とにもかくにも
自分の干支に納得がいかない。「未年」である。とくに子どもの頃は、辰や寅に比べると格好が悪いなと感じていた。のんびりしてて迫力に欠ける。文字どおり牧歌的なそのイメージに馴染めなかった。女子ならば、巳年や亥年に、また格別な抵抗感があるのだろう。
幼稚園がミッション系だったので、年末のクリスマス学芸会では、園児はキリスト降誕物語の舞台に立たされた。そこで振られた役が「羊その2」だったことも、羊への偏見に拍車をかけたのかもしれない。何しろセリフは、四つん這いになって「めえ、めえ」言うだけだったのである。
だいたい日本には羊の物語や絵画工芸が少ない。というか、ほぼ皆無に近い。羊が飼育されるようになったのは明治以降なのだから、無理はない。ただ同じく日本にはいない虎や竜は、物語にも絵画にも嫌というほど登場するのだから、やはり得心がいかぬ。
未年になると決まったように話題になる、「美」という漢字は「大きな羊」を表すという薀蓄もあてにはならない。大きな羊を誰がことさら美しいと思うのだろうか。羊頭狗肉、羊羹、羹という言葉があるように、大きな羊は、眼ではなく腹を満足させるものなのだ。
兎も人畜無害で迫力に欠ける十二支の一員であるのだが、こちらはそれなりに話題は豊富であり、それほどのんびりもしていない。因幡の素兎は「善人」ではないし、「かちかち山」での兎による狸への仕打ちもかなり容赦がない。その「かちかち山」の後日譚である朋誠堂喜三二の「親敵討や腹鼓」では、狸が敵討を試み、結局兎は切腹し真っ二つになって、「ウ」と「サギ」に変身する。「鵜(烏)鷺」、すなわち囲碁のメタファーにもなっている。
朋誠堂喜三二「親敵討や腹鼓」より
というような話はさておき、近頃、兎で気になっているのは、「とかく」や「とにかく」や「とにもかくにも」に、「兎」と「角」の文字をあてること。「とかく」も「とにかく」も「とにもかくにも」も基本的に同じ意味ではあっても、微妙にニュアンスが違う。『広辞苑』でも説明に揺れがある。個人的には、「とかく」は「ありがち」、「とにかく」は「つまり」、「とにもかくにも」は「いろいろあるけれど」に、それぞれ近いと感じる。それをまとめて兎の角である。中国南北朝時代の『述異記』の「大亀生毛、而兎生角、是甲兵将興之兆」に由来する当て字らしい。亀に毛が生えたり兎に角が生えるのは戦乱の兆しであるという意味で、亀毛も兎角も現実にはありえないものの代表だとされる。戦乱がそれほど稀だとも思えないし、「とかく」の本来の意味とも相容れないような気もする。『草枕』の冒頭で漱石が「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」と綴ったことで、この用字が一般化したようだ。
亀毛の方は蓑亀の絵もお馴染みなので、想像しやすいものの、兎角はいかにも唐突だ。それにいくら角のある兎という幻想動物を思い描いても、龍や麒麟のような凄みはない。兎の角はちょっとしたアクセサリーみたいなものだ。
ところがヨーロッパでは、この角兎が実在したことになっていた。16世紀スイスの博物学者、コンラート・ゲスナーによれば、ドイツのザクセン地方に生息するとされている。ルドルフ2世のコレクションになったその標本は、ヨリス・ホフナーゲルによって描かれた。この角兎、かなり後世までその存在が信じられていたようで、「Lepus corutus」なる学名までつけられている。
今では、角兎の剥製は、兎の頭に珊瑚を縫い付けたもの、あるいはショープ乳頭腫ウイルスに感染して頭にこの病い独特のオデキができた兎であるとされている。
ヨリス・ホフナーゲル"Animalia Qvadrvpedia et Reptilia"より
とにかく、兎に角があったら、羊の数少ない取り柄であるその角のありがたさも霞んでしまうところだった。
米澤 敬(よねざわたかし)
群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員をつとめ、中学校では卓球部、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。
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