忘れものあります|米澤 敬
18|不思議世界発見
美術館は上品で、博物館はちょっと下品。そんな先入観に、いまもどこかでとらわれたままだ。美術館では素養や教養が要求され、よくクリーニングされた空間に整然と「作品」が並ぶ。博物館はどこかいかがわしく、見世物小屋めいていて、実際にはそんなことはまずないのだが、埃っぽく、黴くさいというイメージがある。
そんな偏見はきっと、ある程度大人になるまで美術館に立ち入ったことがなかったことによるのだろう。上野の科学博物館には、両親にせがんで何度も足を踏み入れた。お目当ては恐竜のジオラマだ。本物よりもひとまわり小ぶりだったと記憶するが、ときを忘れていつまでも眺めていた。ティラノサウルスの前肢がやけに小さい理由も、ステゴサウルスの背中の板が何の役に立つのかについても、まったく説明はない。恐竜にかぎらず、どの展示も投げ出されたように、ただただそこにあり、解説はとってつけたようなものだった。巨大なフーコーの振り子が、なぜ地球の自転の証左になるのかも、ほとんど理解不能だった。しかも、得体のしれない骨格標本や大脳や臓器の不気味なホルマリン漬けの瓶が雑然と並び、ちょっとしたトラウマになったほどである。怖いもの見たさというか、そんなところにもまた無闇に惹きつけられるのだから、人の心は一筋縄ではいかない。
長じてからは、ロンドンの自然史博物館やパリの古生物学比較解剖学展示館でも、かつて上野のお山で感じた「わくわく、ドキドキ」を体験することができた。ただロンドンの方では、その後、再訪した折には、まったく高揚することがなかった。展示がアトラクション化していたのである。楽しみながら進化や地球について学べるというものではあった。しかし、こちらが「わくわく、ドキドキ」する余地がない。不思議に眩暈する前に、先回りして懇切丁寧に「啓蒙」してくれるのだ。余計なお世話だと思う。近頃は、ほとんどの博物館がこんなテーマ展示によって、ミニ教育テーマパークになってしまった。
パリ自然史博物館・古生物学比較解剖学展示館
博物館も美術館も、ミュージアムには変わりはない。ギリシア神話の美の女神、ムーサにちなんだ呼称であることは重々承知。ただ近代の博物館の淵源は「ヴンダーカンマー(Wunderkammer)」にあるようだ。英語なら「Chamber of Wonders」、日本語では「驚異の部屋」と訳されている。つまりは王侯貴族や「物好き」がその好奇心の赴くままに、自然物、人工物を問わず奇妙なものを集め、収めた部屋のこと。まっとうなものも、いかがわしいものも、一緒くたにコレクションされていた。美術工芸品も、もちろん「ワンダー」であれば収集の対象だ。大英博物館も、ハンス・スローン卿のヴンダーカンマーの収蔵品が基礎となっている。「Wunder」や「Wonder」は、単に「驚異」というだけでなく、「わくわく、ドキドキ」ということでもある。
18世紀のオランダの織物商、Levinus Vincentのヴンダーカンマー
はじめて「世界の七不思議」のラインナップを知ったときには、ちょっと拍子抜けがした。念のため列挙しておくと、「ギザの大ピラミッド」「バビロンの空中庭園」「エフェソスのアルテミス神殿」「オリンピアのゼウス像」「ハリカルナッソスのマウソロス霊廟」「ロドス島の巨像」「アレクサンドリアの大灯台」である。何のことはない、巨大な構築物を数え上げただけではないか、と思った。こちらの方こそ「不思議」より「驚異」の訳語がふさわしい。日本なら「雲太(出雲大社)、和二(東大寺大仏殿)、京三(御所太極殿)」といったところか。当方は、「不思議」というからには、てっきり、ネッシーや雪男、UFOやツタンカーメンの呪いなどが含まれていると早合点していたのである。先に「本所七不思議」を知っていたせいである。本所の方は、記録によって異同はあるけれど、「置行堀」「送り提灯」「燈無蕎麦」「足洗邸」「片葉の葦」「落葉なき椎」「狸囃子」という手のものであり、怪談や妖怪事象集だった。ちなみに日本版七不思議には、古くは「御神渡」「元朝の蛙狩り」「五穀の筒粥」「高野の耳裂け鹿」「葛井の清池」「御作田の早稲」「宝殿の天滴」の「諏訪大社七不思議」がある。いずれにしても、世界と日本の七不思議、まったく違っているようでいて、やはり「ワンダー」であるところは一致している。どちらもヴンダーカンマーや博物館に収められるような代物ではないけれど、好奇心旺盛な王侯貴族や子どもたちにとっては、どのようなかたちにしろ、コレクションしたくなるものではある。科学だって美術だって、そんな無邪気な「ワンダー」からはじまるのだと思いたい。
米澤 敬(よねざわたかし)
群馬県前橋市出身。小学校では新聞委員をつとめ、中学校では卓球部、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。
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