忘れものあります|米澤 敬
35|手本は二宮金次郎
昨今の「経済」はずいぶん浅薄なものになってしまったが、もともと「経済」は、「経世済民」つまり「世をまとめ、民をすくう」という意味だった。その経世家の代表格といえば、二宮尊徳、幼名金次郎だろう。
我々が小学生の頃、つまり昭和30年代後半には、校庭に二宮金次郎の銅像ないし石像がある小学校はほとんどなかったと思う。銅像の方は、太平洋戦争時の金属供出による消滅だろう。歩きながら本(『論語』あるいは『教育勅語』)を読むその姿は勤勉の象徴とされていた。現代では歩きスマホは不躾の象徴となってしまっている。
最近のとあるアンケートによると、電子書籍も含めてひと月に1冊も本を読まない人は6割を超えるそうだ。一方でのメールやラインの隆盛を鑑みると、要するに長文を読む習慣がなくなったということなのだろう。それを嘆いてもせん方ない。
本にしたって、人類の歴史の中ではさほど古いメディアでもない。ましてや一般庶民がそれを手にとれるようになったのは、日本ならば江戸中期以降のことである。だいいち本以前に、文字そのものが一種の発明品だった。文字を持たない文化もあるし、現在、先進国と呼ばれる国々にしてからが、近代以前は識字率はかなり低かった。
稗田阿礼の口述を記録したのが『古事記』であるように、文字は音のメディアであり、その文字を音声として再生するのが「読む」という行為である。
読む技術には、いくつかの発展段階がある。大きくは音読から黙読への流れだが、音読にも黙読にもそれぞれの段階があるようだ。まずは忠実に文字を音声化する、いわゆる朗読のような読み方があった。次に中世教会の写学生に代表される、文字を写しとる際などに「ブツブツ」と声に出して確認する読み方が生まれた。
黙読の誕生はずいぶん後世のことであるようだ。一説に近代になってからだともされている。この黙読にも二つの段階がある。まず、頭の中で声を出して読むという方法。脳内朗読である。今でも、本を読むのが遅いという人々の間で継承されている。これが本来の黙読だろう。多くの現代人は、脳内「ブツブツ」型の読み方を身につけている。読書スピードという点ではかなり早くなっているはずだ。それぞれの段階に応じて、頭の中に見えないスイッチがあるようにも思える。
一方で「速読術」や「多読術」というものがある。「斜め読み」や「拾い読み」、あるいは「目次読書」である。編集者という職業柄、自分もこういう方法がいつの間にか身についてしまった。しかしこれは読書ではないと思う。早ければいい、効率的であればいい、というわけではないのである。それは調査や確認の作業ではあっても、本を読んだことにはならない。
そういうやり方で読書量を誇り、内容さえ把握できればいいではないかと強弁する人がいる。しかし、カラヤン指揮のベートヴェンの「第九」を3倍速で聴いて、全体構成を把握し、「歓喜の歌」のメロディを覚えたからといって、カラヤンの「第九」を聴いたことにはならない。「アラビアのロレンス」を高速再生して10分で観た奴に、「ロレンス」を観たなどと言われたくないのである。
「速読術」と6割以上の人が本を読まなくなったことには、どうも裏腹の関係があるように思えてならない。長い時間をかけて手に入れた読書のスイッチを、最新のデバイスに譲り渡してしまったような気分にもなる。
果たして二宮金次郎は、歩きながら声を出していたのだろうか。
米澤 敬(よねざわたかし)
群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員をつとめ、中学校では卓球部、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。
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