忘れものあります|米澤 敬
53|光りものと無能の人
光りものが大好きだった。いまはさほどでもない。
大学入学時には大雑把に理系を選び、2年時の学部移行の際には、うっかり地質学鉱物学科を選択してしまった。もともとは鉱物よりも生物が好きだったので、理学部の動物学科か獣医学部、あるいは農学部の造園科にするかで迷っていたのだが、稲垣足穂の「水晶物語」を読んだ勢いで、地質学鉱物学科に決めたのである。鉱物に惹かれたのはその結晶の美しさと多様性、そしてその幾何学性によるものだった。教室の標本ケースには、それまで見たことがない鉱物結晶が並んでいて、心が踊ったものである。しかし上級生や先生からは、「そんな光りものに拘泥しているうちは素人である」と一蹴されてしまった。内心「光りものが好きで何が悪い」と嘯いていた。
その後、わが鉱物への関心はダスト・イン・クルージョンへと向かう。つまり結晶生成時にその中に閉じ込められた気泡や他種鉱物の微結晶である。代表的なものでは水晶の中の緑泥石や陽起石の針状結晶などがある。そういう水晶は草入水晶と呼ばれる。
編集者になって、幸いなことに鉱物に関する本を何冊かつくる機会に恵まれ、そんな鉱物への関心のあれこれは解消してしまった。気が済んだということなのだろう。もともと飽きやすい性格である。その代わり今度は、柳田國男の「石神問答」で語られているような日本の石にまつわる伝説や伝承が気になりはじめた。
近代以前の日本では、鉱物結晶やその幾何学性についての記録はほとんど皆無である。稀に「彦山の玉屋から八角の水精石が現れた」(「諸国年中行事」)のような記述はあるが、これが水晶のことであるなら八角ではなく六角であるはずで、けっこういい加減な記録である。鉱物の美しさは、もっぱら翡翠や瑪瑙をはじめとする「玉(ぎょく)」に見出されていたようだ。あるいは「水石」に象徴されるように見立ての対象になっていた。この国に幾何学精神がなかったわけではないことは、家紋の意匠などを見れば一目瞭然なのに、「光りもの=結晶鉱物」については、あまり関心が払われてこなかった。
つげ義春の「無能の人」の助川助三ではないけれど、当方が一見なんの変哲もない石に目を向けるようになったのは、もしかすると歳のせいかもしれない。かつては曜変天目茶碗などに比べてさほど美しいとも思えなかった黄瀬戸や楽焼に魅力を感じるようようになったこととも関係があるのかもしれない。ないのかもしれない。
いずれにしても、近頃は密かに日本各地に山のように伝わる石の物語を集めている。
先年逝去された中村外二工務店の中村義明棟梁に聞いた話が思い出される。棟梁は普請に使うための銘木の類を集めていたが、あるとき名石もおさえておこうと思い立ったそうである。そのとき先輩に忠告されたという。「やめておけ、石は祟る」と。石の話を集めはじめた当方には、果たして祟りは降りかかるのだろうか。
米澤 敬(よねざわたかし)
群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員をつとめ、中学校では卓球部、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。
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