忘れものあります|米澤 敬

55|サーカスが町にやって来る


 

子どもの目には広大とも見える空き地いっぱいに、ある日突然、巨大なテントが組まれていた。キグレサーカスか木下大サーカスかは覚えていないが、ついにサーカスがわが町にもやって来たのだ。サーカスと聞いただけで、ワクワクドキドキとともに、ちょっと怖いな、という想いを抱いたものである。
意外なことに、こちらからせがむ前に、母がチケットを手に入れてくれていた。当日、テントに入ると、あっという間に至福の生サーカス初体験は終了。綱渡りや空中ブランコでは、誰も失敗しないうちに早く終わって欲しいと願っていたことくらいが、怖いといえば怖い体験だった。それは当方が危惧していた怖れとは別物である。わが町ではお祭りのときなどには、「見世物小屋」も建ったが、いわゆる「因果物」もほぼインチキの作りものであることはわかっていたものの、怖くて足を踏み入れる気にはついぞならなかった。お化け屋敷はまったく平気だったのに。

サーカスへの怖れには、別の理由もある。当時、「日が暮れてからも外でうろうろしてると、攫われてサーカスに売られるぞ」と大人たちはよく口にした。「チンドン屋についていくと、知らない場所に連れていかれるぞ」というものもあった。江戸時代なら、「天狗に攫われる」や「神隠しに遭う」などの類の脅し文句にあたるのだろう。幕末から明治にかけては、子どもを攫ってその油を絞るという「油取り」妖怪の風聞もあった。
西洋ならば「ハメルンの笛吹き」が有名どころだろう。ペストが蔓延した町に笛吹き男がやって来て、住民の願いにより、笛でネズミを操って水に沈めてしまう。住民が約束の謝礼を払わなかったので、笛吹き男は町の子どもたちを操り、どこかに連れ去ってしまったという結末である。一説に、連れ去り先は、ルーマニアのトランシルヴァニアだともされる。トランシルヴァニアといえばドラキュラの故地だ。ちょっと出来すぎのオチであるような気もする。この手の伝承の背後には、結構おぞましいあれこれが隠れているのかもしれない。

ともかく、サーカスは、魅力的でありながらも、どこか「いかがわしい」イメージを帯びている。いや、「いかがわしい」から魅力的なのである。歌舞伎や浮世絵だってその魅力の大きな部分は、そのいかがわしさにこそあった。創成期の映画やマンガ、ロックやパンクだって充分にいかがわしい。
さして洗練された素養の持ち主であるとも思えない戦国武将(偏見かも)の多くが、能や茶の湯にのめり込んだのも、それらのいかがわしさによるのだと思う。仄暗い密室で大の男が二人して茶を飲む、なんていうのはかなりいかがわしい。そういった「芸能」が、いつか「道」や「芸術」になり、お上のお墨付きを得て、いかがわしさを失っていく。挙げ句の果てには勲章をもらったり、人間国宝になったりまでする。
しかしいかがわしさを失ったロックやパンクが、ただのポップ・ミュージックの1ジャンルでしかないように、いかがわしさのない芸術や芸道は、ドキドキワクワクとは無縁である。

近頃はとみに、世間からいかがわしさが消えているようだ。代わりに真実や正義を纏った「胡散臭さ」がやたらに目につく。「いかがしさ」と「胡散臭さ」は、似ているようで全然違う(と思う)。水木しげるの漫画はいかがわしいけれど、胡散臭くはない。一方、ビル・ゲイツはいかがわしくはないけれど、とっても胡散臭い。
幸か不幸か、サーカスは今もなおいかがわしくあり続け、怖さに味つけされたワクワクドキドキを提供してくれている。


米澤 敬(よねざわたかし)

群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員をつとめ、中学校では卓球部、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。


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