忘れものあります|米澤 敬
56|くわばら、くわばら
冬は空っ風、夏は夕立が日常だった。そんな土地で育ったので、その後暮らした札幌や東京は、ちょっとものたりない。東京にも夕立はあるにはあるが、故郷上州ほどではない。昔は夕立の落雷で頻繁に停電した。常備の蝋燭で火を灯してやり過ごす。雷鳴や稲光はさほど怖いと思ったことはないが、小学生時代の後半は鍵っ子だったので、まずまず広い家で一人蝋燭の揺れる光を頼りに過ごす時間は、とても不安だった。
俗に「地震、雷、火事、親父」という。怖いものの四天王ということだろう。確かに「地震」は、今も昔もすぐそこにある恐怖である。「親父」は子どもの頃からまったく納得できなかった。父親が子どもに甘かったせいもあるけれど、昨今、星一徹のような親父は、絶滅危惧種である。「火事」もそれほど怖いとは思えなかった。ほとんど紙と木でつくられた家が密集する江戸のような近世都市では、確かに怖いのだろうし、今も恐れるべき災害ではあるけれど、ついつい早く逃げればなんとかなると思ってしまう。雷も避雷針のおかげで、さほど怖いものではなくなった。
そういえば子ども向けのSF小説で、未来社会では不老不死が実現し、自然災害も科学の力でコントロールされるようになる、というものがあった。人が命を落とすのは、宇宙から降ってくる隕石に直撃された不運な巡り合わせによるものだという。この話を読んだ後、いまにも隕石が落ちてこないかと、おっかなびっくり往来を歩いたことを憶えている。現代社会では雷に打たれる確率は、隕石などに比べれば桁違いに大きいのだけれど……。
西洋の歴史を見ると、結構な人物が落雷で落命している。軍人や聖職者が多かったようだ。軍人は金属を身につけ、聖職者は教会という「高層」建築で暮らしていたためだろう。雷は神の怒りだともされていた。日本でも「雷」は「神鳴」である。落雷した樹木は「霹靂木」と呼ばれ、神霊が宿ったとされ、かつて仏像は霹靂木か神木からしか造られなかったそうだ。
避雷針の発明者は、ご存じベンジャミン・フランクリンだとされている。彼は自身の発明品をまず「高層」建築の教会に設置しようとした。ところが聖職者たちが反対した。聖なる場所に、そんなものを取り付けると穢れるという理屈である。また地中にアースされた電気は、大地に蓄積され地震を引き起こすという妄説もあった。ともあれフランクリンのおかげで、雷への恐怖は激減したのである。
雄略天皇の時代(5世紀)に、蜾蠃(すがる)という人がいた。天皇から后妃の養蚕のため、「蚕(こ)」を集めるよう命じられ、勘違いした蜾蠃は児(こ)を集めてしまう。天皇は苦笑して、「お前がその孤児たちを養え」と命じ、蜾蠃に少子部(ちいさこべ)の連姓を賜った。ちなみに后妃の養蚕は、令和の宮中でも行われている。
この蜾蠃はまた、勅命により雷神を捕らえている。雷神の正体は大蛇で、天皇によって忌避され、解き放たれた。蜾蠃の死後、これを恨んでいた雷神が蜾蠃の墓の碑文の柱に落雷したが、柱の裂け目に足が挟まり、またもや捕えられてしまう。天皇は碑文を作り直し、「生きても死んでも雷を捕らえた蜾蠃の墓」と記したという。
平安時代には雷は怨霊の仕業とされるようになる。菅原道真がその代表。延長8年(930)に清涼殿に落雷し、道真の政敵、大納言の藤原清貫(きよつら)が死んだのも道真の怨霊によるものとされた。一方で、その道真のゆかりの地には、雷が落ちないと信じられた。
現在の京都御苑と地方裁判所の間の「桑原町」は、道路の一角の地名であり、建物もなく住民もいない。ここに道真の館があったとされる。雷除けの「桑原桑原」はこの地名に由来するという。別の桑原由来譚には、雷は桑を嫌うというものや、鎌がかかっていた桑の木に雷が落ちて鎌に割かれて雷が死んだため、以来、桑の木に雷が落ちなくなったとする伝承もある。後者は蜾蠃の話の転化かもしれない。「蚕」ももちろん桑と関係が深い。
雷については、「雷に臍を取られる」という言い伝えもある。暑さのあまり子どもが腹掛けをしないで寝るのを諌めるためのものとも言われるけれど、次のような天平年間(8世紀)の伝承がある。「大和秋篠寺に落雷があった際、善珠僧正が呪文で雷を捕らえ、臍を抜いて懲らしめた」。これは雷の方が臍を取られる話だが、主客が逆転するのは、日本ではよくあることである。
落雷で命を失ったり火災になったりするのも怖いけれど、臍を取られるというのは、そこはかとなく嫌だ。ちょっと勘弁してほしい。それこそ「くわばら、くわばら」である。
米澤 敬(よねざわたかし)
群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員をつとめ、中学校では卓球部、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。
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