忘れものあります|米澤 敬

57|カイジュウ名義考


 

夏休みと冬休みの大きな楽しみのひとつが、映画館に連れて行ってもらうことだった。目当てはクレージー・キャッツの「日本一」シリーズと、怪獣が登場する特撮ものである。どちらも東宝だ。当時は二本立てが基本なので、クレージーと怪獣を一度に楽しめることもあったが、加山雄三の「若大将」シリーズが抱き合わされることも多かった。こちらも楽しむには楽しめたけれど、女子たちほどには夢中にはなれなかった。毎回、加山雄三が食べる肉マンがやたらにうまそうだったことと、青大将こと田中邦衛の独特な表情が印象に残っている程度だ。
初めて見た怪獣映画は「キングコング対ゴジラ」(1962)だった。その後、ずいぶんたくさん見たような気がしていたが、あらためて確認してみたら、「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」(1966)や「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」(1966)あたりが最後だったので、さほど熱心な怪獣映画オタクだったわけではなかったようである。
怪獣映画から縁遠くなったのは、ゴジラが「シェー」をしたりして、観客に媚びているように感じたこともあるが、新しく登場する怪獣の名前にがっかりしたことによる。
初期の怪獣では、「アンギラス」は恐竜のアンキロサウルス、ラドンは翼竜のプテラノドンが出自であり、バランは土俗信仰の対象、婆羅蛇魏山神(ばらだぎさんじん)が実体化したという設定になっていた。それが「南海の大決闘」では「エビラ」であり、ゴジラの息子として「ミニラ」も登場する。さらにヘドロ怪獣「ヘドラ」とくる。ゴジラの息子なら生物学的にはやっぱり「ゴジラ」と呼ぶべきだろうと、子ども心にも半畳を入れたくなった。怪獣にするなら何でも「ラ」をつければいいというものでもない。
ちなみに大映の怪獣は「ガメラ」であり、日活は「ガッパ」である。もうその名前だけて、映画館まで足を運ぶ気にならなかった。
映画館からは遠のいたものの、円谷プロ製作のテレビ・シリーズ、「ウルトラQ」、「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」は、毎週リアルタイムで見ていた。「ウルトラQ」にも、ナメクジ怪獣の「ナメゴン」や南極怪獣「ペギラ」がいるし、金喰い怪獣「カネゴン」なんていうものまで登場する。「ウルトラQ」は寓話的なお話が多かったので、ネーミングの安易さも、まあ許してやろうという気分だった。
それにテレビでは、毎週のように新怪獣が「出演」するので、その命名にも苦労がしのばれる。印象的だったのは「ゴメス」と「チャンドラー」(後者は着ぐるみが「ペギラ」の使い回してあることが気になった)である。この名前には、友人のミステリ好きの父親の本棚で再会することになる。「ゴメス」は結城昌治のスパイ小説『ゴメスの名はゴメス』、「チャンドラー」は『長いお別れ』のレイモンド・チャンドラーが出典のようだ。もちろん怪獣「チャンドラー」に、フィリップ・マーロウとの共通点はこれっぽっちもない。当たり前だ。もうひとつ気になったのが宇宙怪人「ダダ」である。こちらは高校の図書室での再会となった。雑誌『美術手帖』のバックナンバーを読み耽っていたとき、マルセル・デュシャンやマックス・エルンストや未来派とともにダダイズムを知ったのである。ウルトラ・シリーズの「ダダ」は、「既成概念では理解しがたい宇宙生命体」という設定だから、こちらはトリスタン・ツアラの意図からそんなに遠くはない。
そんな様々な怪獣や宇宙人の名前を見るにつけ、やっぱり「ゴジラ」という名前は秀逸だと思う。ゴジラ・ファンのアメリカの古生物学者が、自分が見つけた新種の恐竜に「Gojirasaurus quay」と命名したほどに、世界に通用する名前でもある(もっともガメラ・ファンの中国の古生物学者が古代亀の学名をSinemys gameraと名付けているので、日本人でなければ「ガメラ」もそんなに安易な命名には聞こえないのかもしれない)。
ただし、大人になってから、「ゴジラ」の命名由来を知ったときには、少々唖然とした。「ゴジラ=ゴリラ+クジラ」だったのである。初めから怪獣のゴッドファーザーたちは、安易といえば安易だったのだ。


米澤 敬(よねざわたかし)

群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員をつとめ、中学校では卓球部、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。