忘れものあります|米澤 敬

58|燐寸とAI


 

道具が便利になった分、ヒトは不便になる。たとえばマッチであり、ライターである。かつて多くの人は自分で火をおこすことができた。それがいつの間にか、ヒトは自分の力で火をつくることができなくなってしまった。
ヒトと他の動物とを大きく隔てるのは、火の使用と言葉による意思疎通と思考であるともいわれる。ヒトが火を自分でつくる能力を手放して久しい。言葉については、必ずしも他の動物たちがそれと無縁であるとは思わないけれど、確かにヒトの特性は言葉を駆使する(しすぎる)ことにあるようだ。そうなったのは、無論のこと、脳が肥大したことに深くかかわっている。
ヒトが大きな脳を持つことになった理由については、いくつもの仮説がある。中でも個人的に気に入っているのが、ロコモーション仮説というやつだ。
森から離れ草原で暮らすようになったヒトが、周囲の危険を察知するためには、立ち上がった方が遠くを見渡せて都合がいい。移動も立ったままの方がのぞましい。ひとたび危険が迫れば、そのままできる限り高速で逃げることになる。その高速移動のためには、からだのバランスが悪い方が有利なのである。二足歩行ということでは鳥もヒトの仲間であるが、鳥たちはいざというときには飛ぶ。飛ばない鳥にはペンギンやダチョウがいるけれど、ペンギンはその安定感のある体型のため、歩くのは遅い。そのかわり水中ではスピーディーだ。走りの速いダチョウは首が長く、バランスが悪い。バランスを崩しながら、高速移動するのである。重力の影響が大きい大型の哺乳類や恐竜も、長い首や大きな頭、あるいは角や牙などを持つものが多い。それらによって重心を崩しやすくして素早く動けるように進化した、というのがロコモーション仮説である。ヒトは早く走るため、つまり前のめりで移動するために頭が大きくなり、その中身を満たすようにして大脳が肥大したことになる。大きな脳は高速二足歩行のおまけみたいなものなのだ。
そこにAIの登場である。大雑把にまとめるなら、AIの基本は膨大なメモリ(記憶)だろう。それはヒトの脳の使い方と大差はない。大脳皮質だってその大半は記憶のために使われている。
我々はいま、AIによって大きな「便利」を手にした。どこに行っても何を見ても、鬱陶しいほどにAIと出会う世の中になった。燐寸によって火を起こす力を放棄したように、AIによって考える力を捨てつつあるのかもしれない。まあ、考える力など、直立二足歩行の余禄みたいなものだし、そもそもヒトというやつは碌でもないことばかり考えているのだから、それはそれでいいのかもしれない。
ただ脳とAIには大きな違いがある。現時点でAIには絶対できないことがある。それは「忘れる」ということだ。もしかすると忘れる能力は、ヒトにとってかけがえのない力なのかもしれない。「なつかしさ」や「はかなさ」、「うつろい」や「おもかげ」などの感覚も、忘れる力とどこかでかかわっているようだ。
言い訳めいた話になるが、当方も近頃、とみに人の名前を思い出せないことが増えている。特に頻繁に目にしているはずのTVタレントの名前があやしい。このあいだも、ある「人気女優」の名前を失念してしまった。コマーシャルやドラマで毎日のように目にするその女性の名は……しまった。誰の名前を忘れたのか、思い出せない。


米澤 敬(よねざわたかし)

群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員をつとめ、中学校では卓球部、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。