忘れものあります|米澤 敬
8|作文の時間
国語が苦手だった。そもそも日本語ではなくて、なぜ国語なのかと思った。日本の言葉ではなく、「お国」の言葉ということなのか、などとは、もちろん小学生の頭では考えもしなかった。それでも、いまさら日本語を教えられることには、納得がいかなかった。ついでに言うと、書道も算盤も苦手。つまり「読み、書き、ソロバン」がダメだったというわけである。
特に作文がいけない。たとえば遠足などがあると、決まったように作文のテーマにされる。この遠足というやつがまた問題だ。歩いて目的地まで出かけるまっとうな「遠足」はまだしも、たいていの遠足はバスに乗らなければならない。そのバスに酔うのである。場合によってはバスに乗った途端、ガソリンの臭いで気持ちが悪くなる。いくら風光明媚で「面白くてタメになる」場所に連れて行かれても、帰りのバスが頭から離れず、憂鬱な半病人状態のままなのだ。
だからとりたてて書くことはない。400字詰原稿用紙3枚が規定の作文では、最初の1枚の半分ほどで立ち往生してしまう。まあ、遠足だけではなく、夏休みの思い出や読書感想文でも似たようなものなので、作文嫌いを乗り物酔いのせいばかりにするわけにはいかない。読書も苦手だった。本は好きだったのだが、もっぱら図鑑や漫画本なので、長い文章を読むという能力は身につかなかった。
みんなが自分のように作文を嫌っていると思い込んでいたある日、クラスメイトの佐々木さんが、県の作文コンクールで優勝した。原稿用紙10枚の大作である。そんなに書けるなんて小学生らしくないし、きっとつまらない話なんだろうと決めつけていた。ところが、文集に載ったその作品を読むつもりもなく眺めているうちに、ついつい読み始めてしまった。内容は、年末に家に畳替えにやって来た職人たちの仕事のドキュメント。畳を張り替えるという、ただそれだけのことなのに、引き込まれて一気に読了してしまった。舌を巻いた。こういう人が、やがては小説家になるんだろうなと思ったけれど、その後、佐々木さんの消息は伝わってこない。本当の才能というのは、あからさまに表に出るものではないのかもしれない。
中学、高校と作文に類するものは、適当にやり過ごしてきた。ところが、大学には卒業論文というものがある。もちろん学部によってはないところもあるが、うっかり選択した地質学では、卒論は必須だった。もったいないことをしたとは思うものの、絵に描いたような不真面目な学生であり、フィールドワークも実験も、おざなりに済ませてしまった。卒論の規定は、レポート用紙30枚である。気が遠くなるような量だ。ところが案に相違して、書き始めるとあっけなく規定の枚数を埋めることができた。事前審査の際、指導担当教授が一読して言った。「すごいなキミ、こんなに内容がないのに、もっともらしい体裁になっているじゃないか」。褒められたと思った。浅薄この上ない。教授の事前審査をパスできたのは、当方にはじめから地質学関係の仕事に就く気がさらさらないことを知っての上だったのだろう。卒業させても学校の恥になるようなことはないだろうし、こんな学生はとっとと学校から出て行ってもらった方が得策だと判断したからに違いない。しかし卒論には発表会というものがある。教授、助教授をはじめ院生までが勢ぞろいする前で発表しなくてはならない。教授たちは大人の判断からなのか無視してくれたが、院生は容赦がなかった。突っ込みどころ満載の論文であることは自覚していた。炎上とはこのことである。助けを求めて指導教授の方を見ると、目を逸らされた。その場をどのように糊塗したかは憶えていない。ともかく幸か不幸か、卒業することはできた。
その後、気がつくと編集の仕事をしていた。作文が苦手な上に、企画書作成や会議が嫌いで、おまけに校正が不得手である。編集者の適性として如何なものかと思う。広告代理店と仕事をする機会が多かったので、企画書は頻繁に書く羽目になった。社会状況や市場動向から書き起こして、くどくどと企画の正当性や背景を説明するのが面倒だった。企画は口頭で伝えるか、ラフスケッチで共有するので十分だ。それで魅力が伝わらないような企画はたいしたものではない、などと嘯いてもいた。多くの会議はまた、自己弁護か自慢、あるいは責任回避の場のように思えた。校正の重要性は重々承知していたが、長い文章を前にするだけで眠くなる。何しろ図鑑と漫画本で育った身である。つまりはデスクワークが合ってないということかもしれない。持続力と集中力に欠けている自覚もあるし、落ち着きがないとも、よく指摘される。
文章を綴るのを、ある程度自然にできるようになったのは、編集の仕事に就いて20年以上経ってからのことである。文章を書くのは、デスクワークではなくボディワークであることを実感した。トイレや風呂に入るなど他のことに向かっているとき、あるいは何もしていないとき、特に歩いているときに、文章の書き出しや締めくくり方、あるいは全体の構成などが生まれてくる。デスクでペンを持ったときには(原稿を書くときには、はじめからキーボードを使うようなことはしない)、文章は半ば出来ていなくてはならないのだ。あとは文章のカミサマが手伝ってくれる。
気持ちよく文章が書けるようになったと思い始めた頃、あるミッション系の女子高から電話がかかってきた。「あなたの文章を入試問題に使わせてもらった」。雑誌に掲載されたエッセイが引用されたらしい。問題作成者の見識は大丈夫なのか、顔が見たいものだ。事前に通告されれば、謹んでお断りしたものを、入試なので事後承諾なのである。しばらくすると、問題が送られてきた。「Aの文の〈それ〉が具体的に何を指すのか、答えよ」、「Bの文の主旨を要約して熟語で答えよ」……。無理だ、自分が書いた文章なのにほとんどわからない。そんなに綿密に文章を構築したわけでもなく、指示代名詞も接続詞もかなり気分任せで使っている。
やっぱり国語は、苦手である。
米澤 敬(よねざわたかし)
群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員、中学校では放送委員をつとめ、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。
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