忘れものあります|米澤 敬
7|茸が怖い
夏は怪談の季節であるそうな。怖い話を聞くと背筋がゾーッとして、暑気払いになるからともいわれる。本当か、と思う。怖い話などを聞かされた日には、ただでさえ寝苦しい夜が、もっと寝苦しくなるというものだ。イギリスあたりでは、怪談は冬が相場であるらしい。なるほど、夜の長い季節に暖炉の火の傍で語られる方が、よほど怪談に似つかわしい。
怪談の一方の主人公である幽霊について、日本人の大半はその存在を信じていないという。ただし、日本人の大半は幽霊を怖いと感じている。存在しないはずのものが居たら怖い、という理屈は通らなくもない。
東洋大学の創設者であり、妖怪学者としても知られる仏教哲学者、井上円了は、幽霊や妖怪を迷信と断じ、それらに合理的な説明を加えて世間から一掃しようとした。もっとも円了の本を読むと、合理主義者というより、この人はよほど狐狸妖怪の類が好きだったんだなあと、思わされる。ともあれその円了は、幽霊は人に憑き、妖怪は場所に憑くものだとこと分けしている。まるで幽霊が犬、妖怪が猫の仲間であるかのようである。ならば幽霊なんて怖くない。人に恨まれるような人生は送ってきていないからだ……多分。まあ、逆恨みということもあるかもしれないが、怖くはない……と思いたい。妖怪の方は水木しげるこのかた、キャラクター化が進み、ゲームで妖怪を追いかけ回すまでになってしまった。いや、キャラクター化ということなら、すでに江戸中期の鳥山石燕による妖怪図鑑シリーズで確立している。ちなみに石燕は、妖怪画家としてばかり云々されるが、版画の「拭きぼかし」の技法の発案者であり、喜多川歌麿の師匠でもある。
鳥山石燕「画図百鬼夜行」より
妖怪のキャラクター化なら、大徳寺真珠庵に所蔵されている絵巻「百鬼夜行図」が、さらに古い。伝土佐光信であるから、すでに室町期に成立していたことになる。石燕にしても「百鬼夜行図」にしても、そこに描かれている妖怪は怖いというより、どこか可愛らしい。そうすることで、本当は心底怖い妖怪をなんとか手懐けようとしたのかもしれない。
国会図書館蔵の「百鬼夜行図」より(模本)
いわゆるホラー映画というやつも、あまり怖いと思ったためしがない。どうしても、痛そうだとか、びっくりしたとか、グロテスクだとかの感想が先に立つ。ドラキュラに血を吸われても吸血鬼になるだけだし、ゾンビにしたって似たようなものだ。「シャイニング」や「エクソシスト」にしても、さして怖くはなかった。ゴシックホラーSFの最初の「エイリアン」は多少恐ろしかったが、夜中にトイレに行けなくなるほどのことはない。
映画ということなら、日本の怪談映画の方がずっと怖い。怪談映画ではないが、初めて母親に映画館に連れて行かれて観た映画は、しみじみ怖かった。大映の「釈迦」である。本郷功次郎演ずるシッダールタが、菩提樹の下で瞑想に入った時に様々な魔羅(マーラ)が現れるシーンがとりわけ怖かった。マーラも怖かったが、シッダールタが恐ろしかった。勝新太郎のダイバ・ダッタも怖かった。おかげで以後、宗教全般に対して漠然とした畏れ、ではなく怖れを感じるようになってしまった。考えようによっては死後蘇るキリストというお話も、聖人譚という前提がなければ、相当に怖い。
で、怖い邦画のきわめつけは、東宝の「マタンゴ」である。特撮監督はあの円谷英二。子ども心に、これは新しい怪獣映画だと誤認して映画館に足を運んだ。マタンゴという巨大茸怪獣が、日本の都市に襲来するのだとばかり思い込んでいた。そもそも当時の東宝のプロデューサーが「怪獣映画と紛らわしいプロモーションをしてしまった」と述懐しているのだから、いたいけな少年が誤認したのも、さほど責められることではないと思う。
話は要するに、無人島に漂着した若者たちが、その島の茸を食べて次々に茸人間のマタンゴになってしまうというものである。吸血鬼でも狼男でもゾンビでもなく、茸なのだ。理屈は通らないけれど、いや通らないからこそなのだろうが、とにかく怖かった。それにマタンゴは、おそらく意図されたものだろうが、原子爆弾のキノコ雲を思わせる姿なのである。観てしまったことを後悔した。後悔先に立たずという諺が、なかなか侮れないことを身を以て体験した。しばらくの間、満足に眠れない夜が続き、夜中にトイレに行くのが、それこそ存在をかけての行動になった。なにしろ我が家は、寝室の扉を開けるといきなり正面に大きな鏡があるのだ。その中にマタンゴになった自分がいたり、背後にマタンゴが迫っていたり、さらには自分の頭髪が逆立っていたりと、想像力は恐ろしい方へとどんどん展開していく。便所にいたる廊下も、途方もなく長く感じた。
だから以来、茸が怖いのである。椎茸の肉詰めも怖いし、舞茸の炊込みご飯も怖い。もちろんのこと、松茸の土瓶蒸しも怖い。それからこんな夏の夜には、適度に冷えた純米酒なんぞも、とっても怖いのである。
米澤 敬(よねざわたかし)
群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員、中学校では放送委員をつとめ、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。
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