空っぽの月


9|出会いがしらの音


 
 

中学のほぼ3年間を通じて、放送委員だった。そんなものになった経緯については、あまり覚えがない。おそらく何かの委員会に所属しなくてはならず、やむなく選んだというあたりが理由だったのだろう。放送委員は快適だった。マイクさえ朝礼台の上にセットしておけば、寒風吹きすさぶ中や炎天の下で他の生徒たちが棒立ちで朝の訓話にうんざりしている間、放送室で雑談しようが本を読んでいようがお構いなしだった。昼休みには放送室のレコード・ライブラリーから適当に何枚か選んで流しっぱなしにておいて、時折、連絡事項をアナウンスするだけだ。あとは予備のプレーヤーで、自分たちの好きな音楽を聴いていればいい。放送で流すレコードはソフトなフォーク・ミュージックが限界で、ロックはご法度だった。あるときシューベルトの「鱒」をかけたら、職員室から音楽教師が飛んできて一方的に怒鳴られた。いまもって彼の怒りの理由がわからない。放送室のライブラリーには、映画音楽がそこそこ充実していた。「いそしぎ」や「エデンの東」にも、ここで出会った。当時は、映画音楽が映画音楽らしい時代だった。その後「スターウォーズ」などの一部の例外を除いて、印象的な映画音楽はなくなってしまった。だから映画のサウンド・トラックを手に入れるなどということは、ほとんどない。

Bedlam "Harvest Moon" 

クエンティン・タランティーノのデビュー作「レザボア・ドッグス」は映画としてのつくりも新鮮だったが、何よりその音楽に惹かれた。というか劇中曲の選曲のセンスが自分に合っていた。収録曲の半分ほどは、既知のものだった。これらはいわゆる映画音楽ではなく、タランティーノの愛聴盤をシーンに合わせて選んだものだろう。もしかすると、曲に合わせて撮ったシーンもあるのかもしれない。"Harvest Moon"は、「レザボア・ドッグス」で初めて出会った一曲である。月を歌っていることは、後になって思い当たった。ベドラムはアルバム1枚つくって解散したハードロック・バンド。この曲はアルバム未収録で、アコースティックな仕上りになっており、芋名月を思わせるタイトルにまず似つかわしい曲調である。

Charles Trenet "Au Clair de la Lune" 

地デジ放送がスタートしたのを前後して、家のテレビが壊れ、以後、テレビを見ることが少なくなった。受験生として深夜放送を聴いていた頃ほどではないが、ラジオに接する機会は増えた。ある日曜の夜、吉永小百合の番組で月の歌が特集された。紹介された全曲を知ってはいたが、それまで月の歌であることを意識しないままに耳に馴染んでいたのが、この"Au Clair de la Lune"(邦題「月の光」)である。フランスを代表する子守唄だ。実は18世紀に成立した民謡であり、歌詞は子守唄にするにはなかなか意味深らしい。吉永番組ではフランスの少女(名前は失念した)が歌っていたように、女性ヴォーカルによるものが多いが、ここではあえて男性のシャンソン歌手、「歌う道化師」ことシャルル・トレネのヴァージョンを選んだ。調子や歌い方を変化させながらの曲進行は、ザ・ビートルズの "You Know My Name (Look Up The Number)"を連想させる。もしかしたら彼らも、トレネに触発されたのかもしれない。ちなみに現存する世界最古の肉声の記録は、1860年4月9日にエドワール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィルによって録音された、この「月の光」を歌ったものである。

David Bowie "Moonage Daydream" 

古くからの洋楽ファンにしてみれば、月のプレイリストには、ボウイのこの曲は必須だろう。ボウイは別に嫌いではないものの、"The Jean Genie"やジョン・レノンたちとの共作"Fame"のようなシンプルでタイトなリズムの曲を聴くことが多い。この"Moonage Daydream"や"Ziggy Stardust"はやや肌に合わず敬遠気味だったので、ここで取り上げるかどうかはちょっと迷った。あえて言うなら、ボウイらしさが鼻につくのだ。それでもあらためて聴きなおしてみると、やっぱり外すには惜しいと思えてきた。最初のギターの音に、この曲の魅力のすべてがある。

Radka Toneff & Steve Dobrogosz "The Moon is a Harsh Mistress" 

レコードの時代は、レコード店での試聴は、かなり手続きが面倒だった。CD時代になってからは、気軽に試し聴きできるようになった(そんなCD時代も終焉を迎えて久しい)。店のお勧めCDも、かなりの数がプレイヤーにセットされていた。この"The Moon is a Harsh Mistress"が収録されている「Fairytales」は、そのように出会った一枚だ。ただ入手してからは、聴くことがあまりなかった。気軽に手に入れたものは、そんな扱いになりがちなのだ。ずいぶん後になってこのアルバムを聴いて、惚れなおした。とくにアルバム一曲目のこの"The Moon Is A Harsh Mistress"が名演だ。おそらくCD店で試聴したのもこの曲だったはずである。よくぞ入手したと、今更ながらに自分を褒めてやる。ピアノはアメリカ出身でスウェーデンを活動拠点とするスティヴ・ドブロゴス、ヴォーカルはノルウエーのラドカ・トネフで、彼女にとっては最後のレコーディング作品となった。トネフは1982年にオスロ郊外、ビグドイの森で睡眠薬自殺している。享年30歳。地元ミュージシャンによるアンケートでは、この「Fairytales」が史上最高のノルウエーのアルバムに選ばれた。曲はアメリカのソングライター、ジミー・ウェッブの作品。タイトルは、ロバート・ハインラインのSF小説『月は無慈悲な夜の女王』からの流用である。小説は、地球の植民地である月が、独立を目指して革命を起こすというお話。

 

草野道彦(くさのみちひこ)

雑想家、図像コレクター。奥州雫石に生まれ、信州伊那で育つ。図像学は荒俣宏に師事。某アマチュア・ロックバンドでエレクトリック・ベースを担当。


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