空っぽの月
8|星の林に
実相寺昭雄は、ある歌謡番組で美空ひばりの鼻の穴をアップで撮影し、各方面から抗議が殺到して仕事を干された。その後、円谷特技プロに拾われて「ウルトラ・シリーズ」の監督を務め、怪獣・ヒーロー映画の定石から逸脱した演出により、一部のファンから熱狂的な支持を得ることになる。実相寺がそのウルトラ時代の体験を綴ったエッセイ集のタイトルが、『星の林に月の舟』だった。怪獣ドラマを扱った内容なのに、なんとも洒落た題名だと思った。その出典が、柿本人麻呂の「天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ」であると知って、もう一度驚いた。まず「星の林」に意表を突かれた。「漕ぎ隠る」もいい。もしかすると先行する漢詩に同様の表現があるのかもしれないが、星の林との対比で、月の船がいっそう魅惑的に天空を漂う。
Mary Hopkin "Voyages of the Moon"
「月の舟」そのものは、それほど特別な表現ではない。ありきたりと言ってもいいだろう。それでも月の舟を歌う曲は意外に少ない。これは、"Those Were the Days”(邦題「悲しき天使」)の大ヒットの勢いに乗って制作されたウエールズ出身の歌手、メリー・ホプキンのファースト・アルバム「Post Card」に収録された一曲。月は舟であり、同時にレモン・ピールに喩えられているところが少々新鮮ではある。ここで星は、道に仮託されている。作者はドノヴァン、このプレイリストでは二度目の登場である。プロデュースはポール・マッカートニー。バックのアコースティック・ギターは、フィンガー・ピッキングがドノヴァン、カウンター・メロディーがマッカートニーだ。メリー・ホプキンは、その後ポップ・ソングを何曲かヒットさせるが、間もなくこの曲のようなシンプルなフォーク・ミュージックに回帰してゆく。
Robin Trower "Sleeping on the Moon"
ロビン・トロワーといえば、元プロコルハルムのギタリスト。プロコルハルムといえば "A Whiter Shade of Pale”(邦題「青い影」)である。バッハの「G線上のアリア」を引用した大ヒット曲「青い影」は、タイトルの印象では月の光を歌っているようだが、歌詞には月は出てこない。青い影とは、血の気の失せた表情のことであるらしい。残念ついでに、ロビン・トロワーのバンドへの加入は、この「青い影」の発表後だった。"Sleeping on the Moon”を聞く限り、プロコルハルムらしさはほとんどない。佳作とされる「Solty Dog」などのプロコルハルムのアルバムを聴いてみると、とってつけたようにトロワーのギターやヴォーカルを前面に出した曲が混ざってはいるものの、ダブル・キーボードが本領のこのバンドから、トロワーが4年で脱退したのも無理はないと思えてくる。というか、よく4年も持ったものだ。クラシックへの指向が強く、松任谷由実とジョイント・コンサートしたようなソフトなプロコルハルムのサウンドよりも、冴えないおっさんが月面で酔っ払って昼寝をしているようなこの曲の方に、強く惹かれるのはなぜだろうか。
Daniel Rae Costello "Dark Moon"
英国のレゲエ・ポップス・バンドUB40を気に入ってよく聴いていたことを思い出し、UB40に月の歌はないだろうかと探している時に、この曲に出会った。UB40にも “Moonlight Lover”があったけれど、このダニエル・レイ・コステロの方がなぜかUB40らしく響いた。当初、コステロは、ジャマイカ周辺のミュージシャンだと思い込んでいたが、実はフィージー共和国の出身、サモアを活動拠点としていた、南太平洋ではけっこう名の知れたソングライターらしい。西太平洋の日本では、CDは手に入れることはできるものの、ほとんど情報がない。レゲエということなら、やはりボブ・マーリーを選びたいところではあるが、“Pale Moonlight”は彼にしては少々物足りない。
Max Raabe und das Palast Orchester "Moon of Alabama (Alabama Song)"
"Moon over Alabama” や “Whisky Bar” としても知られる曲。クルト・ヴァイルはどうしても入れておきたかった。「三文オペラ」と同じく作詞はベルトルト・ブレヒトである。ナチスによって上演が禁止されたという曰くつきのオペラ「マハゴニー市の興亡」の劇中歌の英語版で、ブレヒト好きのデヴィッド・ボウイやザ・ドアーズもカヴァーしている。パラスト・オーケストラはヴォーカルのマックス・ラーベによってベルリンで設立された楽団。1920〜30年代のダンスバンドを模したスタイルで、ワイマール時代のキャバレー・ソングなどをレパートリーの中心に据えて活動している。
草野道彦(くさのみちひこ)
雑想家、図像コレクター。奥州雫石に生まれ、信州伊那で育つ。図像学は荒俣宏に師事。某アマチュア・ロックバンドでエレクトリック・ベースを担当。
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