空っぽの月
11|異国の空
最近はそうでもないが、少し前までは欧米の東洋イメージは、かなりいい加減だった。日本も朝鮮も中国も、ときにはインドさえもいっしょくたにされていた。特に映画や小説などの日本描写にはあきれることが多かった。もっとも我々も、オランダとベルギーとフィンランドのお国柄についてほとんど意識することがないのだから、お互い様なのかもしれない。クレムリンもケルンの大聖堂もサグラダ・ファミリアも、似たようなものだと、乱暴にも思ったりもする。だいいち日本人の多くは、朝鮮と中国とモンゴルの文化的差異にも無頓着である。欧米人がポタラ宮と東大寺大仏殿を混同しても、文句は言えまい。
近代以前の西洋における東洋イメージを決定付けたのは、おそらくマルコ・ポーロの『東方見聞録』だろう。視覚イメージについては、ドイツ出身のイエズス会司祭、アタナシウス・キルヒャーの『支那図説』が果たした役割が大きい。アジア各地に派遣されたイエズス会メンバーの情報(伝聞や憶測も多い)を取りまとめて図像化した書物である。奇怪至極な中国(東洋)イメージのオンパレードだ。もっともキルヒャーの著作は、ノアの方舟やバベルの塔や普遍音楽をテーマにしたものでも、異様なイメージ満載なのだから、『支那図説』の荒唐無稽もキルヒャー本人の資質によるものかもしれない。ただし、その『支那図説』を経由して、ライプニッツが易経を知り、二進法の着想を得たことが、現代のコンピュータ技術の淵源となっているので、綺想の書の一言で簡単に切り捨てるわけにもいかない。
『支那図説』より、空飛ぶ亀(緑毛亀)。
『支那図説』より、シン湖。
『支那図説』より、洋上の阿弥陀如来(プサ)。
The Incredible String Band "Waltz of the New Moon"
ザ・インクレディブル・ストリング・バンドは、多種類の民族楽器、特にその名の通り弦楽器を駆使したバンドである。本来の奏法は無視した自己流の演奏は、それほど上手でもない。それでもボブ・ディランやポール・マッカートニーたちが愛聴し、のちにはレッド・ツェッペリンが、影響を受けたバンドだと告白しているほど、一部の評価は高い。個人的にはアルバムタイトルの「The Hangman's Beautiful Daughter(邦題:首吊り役人の美しい娘)」に惹かれて聴き始めた(ただし、アルバムには同名の曲は収録されていない)。この"Waltz of the New Moon"を聴くと、ついつい『支那図説』を思い浮かべてしまう。「中国皇帝は鉄の靴を履いていた」という歌詞で始まり、クリシュナ神が歌われていたりするのである。歌詞の大意は摑みどころがなく、「新月(朔)が輝く」などというフレーズもあるように、かなり適当であるが、水流のサウンド・エフェクトが、若水を連想させるあたりは、けっこう気にいっている。
Kevin Ayers "Caribbean Moon"
こちらはカリブの月。これもかなり適当なカリビアン・サウンドである。ケヴィン・エアーズは創立時のソフト・マシーンのベーシスト。ソフト・マシーンは、ウイリアム・バロウズの書名から借用したバンド名である。ジャズ・ロックに分類されるが、ソロになったエアーズからはあまりジャズの匂いは感じられない。どこまでが真面目でどこからが冗談なのか判然としないところが、その魅力である。英語ネイティヴの友人とエアーズについて話したときには、「フランスかぶれのすけべ親父」だと言っていた。確かにこのアルバム(邦題「いとしのバナナ」)をはじめ、彼にはバナナへの妙な執着がある。
Donovan "Moon in Capricorn"
ドノヴァンは、ずいぶん長い間、個人的アイドル・ミュージシャンの筆頭だった。最初にアルバムをジャケ買いした「ザ・ハーディ・ガーディ・マン」冒頭のタイトル曲で、一気にファンになった。後で知ったことだが、この"The Hurdy Gurdy Man"は、当初リード・ギターにジミ・ヘンドリックスを予定していたものの、スケジュールが合わず、ソフト・マシーンにも在籍していたことがあるアラン・ホールズワースがテープの逆回転を思わせる個性的なソロを弾いている。バッキングは、ジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムである。何のことはない、ロバート・プラント抜きのレッド・ツェッペリンなのだ。いきなり気持ちを持って行かれたのも無理はないというもの。ここで取り上げるのは、本来のドノヴァンらしいシンプルな未発表曲。ベスト・アルバムのボーナス・トラックとして蔵出しされた佳品である。ドノヴァンには月の曲が多く、その作品のカヴァーとして"Voyages of the Moon"と"Electric Moon"をすでに紹介した。子守唄の"La Moora"やロックンロール曲の"Moon Rok”も捨てがたいが、当方が山羊座であることもあり、この "Moon in Capricorn"を選んだ。間奏でスリーフィンガー・ピッキングのギターがユニゾンで重なるところは、月が二重映しに滲んでいるようだ。
Mary Coughlan "Moon in a Taxi Car"
アイルランドの女性ヴォーカルばかりを聴いていた頃、マリー・コクランを知った。スタンダード・ナンバーやジャジーな曲が多い印象だが、これはかなりハードなロック仕様。聴きどころは、エレクトリック・バイオリンだ。おそらくナイジェル・ケネディだと思う。ケネディは、ポーランド室内楽管弦楽団の芸術監督で、れっきとしたクラシック畑のミュージシャンであり、ステージでのパンク・ファッションで知られる。一方で、ドノヴァンの"The Hurdy Gurdy Man"のカヴァーをはじめ、ロックやジャズの分野でも活躍している。
草野道彦(くさのみちひこ)
雑想家、図像コレクター。奥州雫石に生まれ、信州伊那で育つ。図像学は荒俣宏に師事。某アマチュア・ロックバンドでエレクトリック・ベースを担当。
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