空っぽの月
12|見た目の向こうに
前方にいっぱいに伸ばした手の指先に持った、直径7ミリほどのコイン。天空にかかる月も太陽も、そんな大きさだ。もちろん太陽の直径は月の400倍であり、同じ大きさに見えるのはその地球からの距離による。たまたま日月があたかも対であるかのように見えることが、人間の文化のあり方に大きな影を落としてきた。それでも人間は、灼熱の太陽には近寄りがたいということもあるのだろうが、月の方に手の届きやすさを感じてきたようだ。日輪に向かったイカロスが失墜する一方で、「竹取物語」このかた、ヨハネス・ケプラーの「夢」や鼻のシラノことシラノ・ド・ベルジュラックの「もう一つの世界、あるいは月の諸国と諸帝国」やフォントネルの「世界の複数性についての対話」など、月旅行や月の住人についての物語は多い。月にぶら下がったり、腰かけたりするイラストレーションもよく目にする。月は少々軽く見られていると言えなくもない。
太陽がなければ地球上に生命が発生することはなかったけれど、「月夜の蟹」の俗諺のように生命はその内側に月のリズムを秘めている。天空に月がなかったなら、生物進化もかなり違った様相を呈していたことだろう。
ジョルジュ・メリエスの最初期のSF映画「月世界旅行」より
Elvis Costello "You Hung the Moon"
エルビス・コステロは芸名であり、エルビスはプレスリーの借用である。ルックスはプレスリーというよりバディ・ホリーだ。デヴュー当初、パンクやニューウェィヴのミュージシャンに分類されていたが、近年はジャズ色を強め、この曲のようなスタンダードめかした曲も多い。"You Hung the Moon”は、月を絞首刑にしたという意味にもとれるが、hungはhangoverを連想させるので、コステロは月の宿酔いというニュアンスを込めたのではないかと邪推している。いずれにしても、曲調とは裏腹に、けっこうパンクな歌詞である。
The Rolling Stones "Moonlight Mile"
ザ・ローリングストーンズは、パンク以前の強面ロックバンドの代表格だ。とくにザ・ビートルズが襟なしスーツを着て一見すると行儀がよさそうだったこともあり、その対比として「不良」のイメージも強かった。実際は、ストーンズのメンバーはロンドンの「いいとこ」の子弟であり、ザ・ビートルズがリヴァプールのチンピラグループだったのである。またストーンズにはR&Bの印象が強いのだが、ザ・ビートルズと同様にそのルーツ・ミュージックには、ケルティック・トラッドがある。ミック・ジャガーもアイルランドのトラッド・バンド、チーフタンズと共演している。この曲はファンでないかぎり、ケルト風のイントロを聴いただけではストーンズだとは思えないだろう。それでいてミックのヴォーカルがはじまるともう、ストーンズ・サウンド以外の何物でもなくなってしまう。元のタイトルはなぜか"The Japanese Thing"。イントロのフレーズはケルト風味などではなく、彼らなりのジャポネズリーだったのかもしれない。
Michael Nesmith & First National Band "Silver Moon"
テレビ番組の「ザ・モンキーズ・ショー」の印象もあって、ザ・モンキーズは、日本でいうならジャニーズ系のアイドル・グループだと思っていた。ギター担当のマイク・ネスミスがザ・モンキーズ脱退後に発表したこのカントリー・ロックを聴いて、ちょっと見直した。ザ・モンキーズのメンバーはオーディションで集められたのだが、その応募者は、ポール・ウィリアムズ、スティーヴン・スティルス、ジョン・セバスチャン、ヴァン・ダイク・パークスなど、なかなかの実力派揃いだった。ネスミスはまた、ポール・バターフィールドやリンダ・ロンシュタットにも楽曲を提供している。
Kronos Quartet "Marquee Moon"
"Marquee Moon”を、このプレイリストに入れるかどうか迷っていた。ニューヨーク・パンクの先駆けとされるテレヴィジョンのアルバム・タイトル曲でもあり、とりわけ間奏のギター・ソロは名演としての評価が高い。個人的には、曲自体はいいと思うのだが、ヴォーカルも長いギター・ソロも退屈なのだ。で、ふと思いついて、クロノス・クァルテットによるカバーを聴いてみると、こっちの方が断然いい。クロノス・クァルテットのレパートリーは、現代音楽から民族音楽まで幅広い、というか何でもありである。この"Marquee Moon”には、もちろんヴォーカルはない。それでも原曲のおもむきを見事に再現しつつ、飽きさせない。あらためて "Marquee Moon"が名曲であると思わせてくれた。
草野道彦(くさのみちひこ)
雑想家、図像コレクター。奥州雫石に生まれ、信州伊那で育つ。図像学は荒俣宏に師事。某アマチュア・ロックバンドでエレクトリック・ベースを担当。
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