空っぽの月
14|つきて、つくして、月がつく
月の語源は「盡(つき)」らしい。新字なら「尽」。なるほど光が尽きれば新月、光を尽くせば満月になる。あるいは影が尽きれば満月、影を尽くせば新月となる。月はまた「とき」にも通じているようだ。月は天空の時計でありカレンダーであるということだろう。
一方で、月は「憑き」とも関係が深そうである。月の光のもとで物狂おしい気分になることを「憑き」と呼んだのではないだろうか。憑きものというと狐憑きや犬神憑きが思い合わされるが、かつては精神や身体の変調全般が憑きもののせいにされていた。コロナも天然痘も憑きものの一種だったはずである。それでもあえて月が憑くという場合、それは大なり小なり精神的な変調を指していたようだ。英語で「moon struck」は妄想的、ないし狂気じみたという意味。「lunatic」は変人や狂人のことである。いっとき「lunar politics」という言い方が気になっていた。直訳すれば「月的政治」であり、「空想上の問題」を意味する。やっぱり月を持ち出すだけで、そこには幻想性や狂おしさが漂うようである。
ただし月の光は、世界をまったくの別物に変えるわけではなく、ほんのわずかに現実感や日常性をズレさせるだけのようでもある。そのわずかなズレこそが、月を忘れがたいものにしている。
The Band "The Moon Struck One"
ザ・バンドは、その名の通りバンドの中のバンドと呼ばれることもあった。エリック・クラプトンが「大物」ミュージシャンを集め、鳴り物入りで結成したブラインド・フェイスは当時、このバンドも10年ほど続けばザ・バンド並になるかもしれないなどと揶揄されたものである。元の名前はザ・ホークス。ボブ・ディランがフォークからフォークロックへと転換する時期にそのバックバンドとなり、評価が高騰した。ザ・バンドは1976年に解散したが、解散記念コンサートにはディランをはじめ、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、マディ・ウォーターズ、ドクター・ジョン、ヴァン・モリソンなど、そうそうたるミュージシャンがゲスト参加。その様子はマーティン・スコセッシによる記録映画「ラスト・ワルツ」にもなっている。 "The Moon Struck One”は彼らのバンドとしての4枚目のアルバムから。タイトルは「月が1時の位置まで昇った」と「気が触れた奴」のダブルミーニングらしい。それにしても月をテーマにした曲にあしらわれるリフに、かなりの頻度で東洋的なフレーズが現れるのはなぜだろうか。西洋は太陽、東洋は月ということなのかもしれない。
Noel Gallagher "The Man Who Built the Moon"
オアシスは兄弟喧嘩で2009年に解散。兄のノエル・ギャラガーはソロ(Noel Gallagher's High Flying Birds名義)で活動を継続中である。これはその3枚目のアルバムのテーマ曲。歌詞で、月をつくった男についての物語が展開するわけではないけれど、サウンドはこちらの先入観のせいか、月の建設現場を思わせるアレンジである。ザ・バンドのリズムも重いが、この曲も相当以上に重い。ただしその重さの質はまったくの別物である。
Enya "Tea-House Moon"
エンヤのアルバム「ウォーターマーク」(1988)には、かなり驚かされた。ケルト音楽へのアプローチが斬新だった。多くの英国ミュージシャンが彼女のファンになったというのも納得である。自分たちのルーツ・ミュージックが、それまで思いもしなかった彩りを放ちはじめたのだから。とはいえ当方は、いつの間にかあまりエンヤを聴くことがなくなった。エンヤ亜流のワールド・ミュージックが巷に溢れたのがその理由の一つ。スタジオ・テクノロジーへの依存も気になり、2008年に紅白歌合戦に特別出演した頃には、関心も失ってしまった。それでもこの曲のようにヴォーカルがない比較的シンプルな曲に出会うと、ついつい聴き入ってしまう。これもまたどこか東洋的な旋律だ。
James Taylor "Sun On The Moon"
ザ・ビートルズが解散した後、次はジェームス・テイラーの時代だと、かまやつひろしが言っていた。それで期待が過ぎたせいか、はじめて聴いた彼のアルバムには、肩透かしを喰った。その後のヒット作も含め、声もギターワークも曲もいいとは思いつつも、あまり積極的に聞くことはなかった。その声が甘すぎると感じたためかもしれない。ごく最近この曲に出会い、ちょっと認識をあらためた。特にドラムアレンジがいい。歌詞には「月の上で太陽が特別の光を放つ」という一節がある。太陽もまた月に憑かれることがあるのだろう。
草野道彦(くさのみちひこ)
雑想家、図像コレクター。奥州雫石に生まれ、信州伊那で育つ。図像学は荒俣宏に師事。某アマチュア・ロックバンドでエレクトリック・ベースを担当。
< 13|見えない色 を読む