空っぽの月


18|月夜の蟹


 
 

月の輝く夜、蟹は月光を恐れて餌をとらないので、身が痩せているという。転じて「月夜の蟹」は、中身の空っぽな人の喩えとなった。本当に月夜の蟹が痩せているかどうかはともかく、多かれ少なかれ月齢は生きもののありようにも影響を与えている。サンゴをはじめとした海洋生物の産卵活動と月齢の関係はよく知られているし、農事暦では種蒔きは満月の前数日間がよいとされている。

中国では月の兎は餅ではなく不老不死の仙薬をついている。宮古島には、月と太陽が人間に長命を与えようとして、使者に「変若水(しじみず)」と「死水(しにみず)」託して下界に派遣したが、間違って蛇が変若水を、人間が死水を浴びてしまったという伝承がある。以来、蛇は脱皮によって若返りを繰り返し、人は短命になった。この変若水の伝承は、元日早朝に一年の邪気を払う水を汲む「若水」行事とも関わりがあるようだ。太陰暦で元日は新月であるのだから、若水は新月の水ということでもある。してみると満月の水が死水だったのかもしれない。

日中則移、月滿則虧。物盛則衰、天地之常數也。

Frank Sinatra "Full Moon and Empty Arms"

多くの方はとっくにお気づきかもしれないが、本シリーズのタイトル「空っぽの月」は、この曲から盗った。ボブ・ディランの月の唄を捜していたとき、初期の "Moonshiner(密造酒造り)"(1963)とこの曲に巡りあった。前者は作者不明の民謡、後者はスタンダードナンバーだ。どちらもディラン版はあまりピンとこなかったが、 "Full Moon and Empty Arms"の方は、シナトラを聴いて、すぐに気に入った。有名曲だったのに、ディランのおかげではじめて知るところとなったわけだ。ディラン様さまである。タイトルはもちろん、「月は満ちているのに、僕の腕には貴方はいない」という意味。

Tori Amos "Edge of the Moon" 

「開運!なんでも鑑定団」で知られるおもちゃコレクターの北原照久氏から熱心に勧められたこともあり、映画「トイズ」は封切りと同時に観た。映画そのものもまずまずだったが、トレヴァー・ホーンが担当したサウンド・トラックがよかった。とりわけ、ちょっとケイト・ブッシュを想わせるトーリ・エイモスが出色だった。エイモスは米国出身で、現在は英国在住のシンガーソングライターであり、ピアニストである。ありがちではあるけれど、もともとクラシック志望だったところは、2つのパートからなる曲構成やアレンジに反映している。

The Doors "Moonlight Drive" 

このプレイリストを発想するもとになった曲の一つ。ザ・ドアーズ結成のきっかけとなった作品でもあり、タイトルそのままの雰囲気が横溢する彼らのセカンド・アルバム「ストレンジ・デイズ」に収録された。作者のジム・モリソンは以前も触れたように、ジミ・ヘンドリックス、ブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョプリンとともに1969年から71年にかけて次々に早逝したミュージシャンの一人。後に世を去ったニルヴァーナのカート・コバーンやエイミー・ワインハウスも含め、享年がいずれも27歳だったことから、今ではまとめて「27クラブ」と呼ばれている。ザ・ドアーズの、あえて物足りないところを指摘するなら、正式メンバーにベーシストがいないところ。レコーディングやコンサートでは、サポートメンバーとしてベーシストが加わるものの、そのサウンドの低音部は、基本的にキーボードが受け持っている。だからこの曲もベースは控えめである。そこが彼らのサウンドの特徴といえば特徴と言えなくもない。

Louis Armstrong, Oscar Peterson "Moon Song"

「グッドモーニング, ベトナム」は、「トイズ」と同じく、バリー・レヴィンソン監督、ロビン・ウィリアムズ主演の作品だ。個人的には、同じベトナム戦争を扱った「地獄の黙示録」や「プラトーン」より強い印象が残っている。北爆のシーンのバックに流れたルイ・アームストロングの"What a Wonderful World(この素晴らしき世界)"は強烈だった。あざとい演出だと言われればそうかもしれないが、滅多にないことに、スクリーンを前にあやうく涙をこぼしそうになってしまった。もともと"What a Wonderful World"がベトナム戦争への批判を込めた曲であることは、後に知った。ルイ・アームストロング、愛称サッチモのことを、近年ではNHKの朝ドラで知った人も多いだろう。その「カムカムエヴリバディ」では、お日様の曲"On the Sunny Side of the Street(明るい表通りで/ひなたの道)"が物語のキー・ミュージックになっていた。ここで紹介するのはアーサー・ジョンストン作曲の、ズバリお月様の曲である。ちなみにオスカー・ピーターソンもトーリ・エイモスも、ピアノはベーゼンドルファーの音にこだわっている。

 

草野道彦(くさのみちひこ)

雑想家、図像コレクター。奥州雫石に生まれ、信州伊那で育つ。図像学は荒俣宏に師事。某アマチュア・ロックバンドでエレクトリック・ベースを担当。


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