空っぽの月


21|何を待つのか


 
 

月見は、必ずしも煌々と輝く満月を観るばかりではない。『枕草子』にも「月は有明の東の山ぎはに ほそくて出るほど いとあはれなり」というよく知られた一節がある。雲に隠れた「無月」や雨夜の「雨月」のような見えない月だって月見の対象だ。月の出を待つ「立待月」や「居待月」というのもある。「たちまち」の語源は「立待月」にあるらしいから、あっという間にすぎてしまうほど「立待月」の「とき」は充実していたのかもしれない。個人的にも「待つ」のは、それほど嫌ではない。むしろ楽しくさえある。そんな楽しさや待ち遠しさが嵩じると、何を待っているのかなんてことは、どうでもよくなってしまう。ただし「待たせる」時間は、できればないに越したことはない。
現代では「待つ」ことは、忌避される。速度ばかりが価値を持ってしまった。最近、ヒット曲の条件の一つにイントロが短いことがあると聞いた。馬鹿馬鹿しい。確かにカラオケあたりでは、イントロが長いと敬遠されるのかもしれない。カラオケに行くことのない身としては、どうでもいいことだけれど、それにしたって、少しはのんびりと歌い出しまでの時間を楽しめばいいと思う。月の出を待つことに比べれば、それこそ「たちまち」のうちなのだから。

Bing Crosby  "Get Out and Get Under the Moon"

これまで紹介したボズウェル・シスターズやボブ・ディランの「月の歌」もかなりイントロが長かった。というか、かつては長くて当たり前だったのだろう。この"Get Out and Get Under the Moon"もとにかく長い。初めて聴いたときには、いつになってもビング・クロスビーの声が聴こえてこないので、もしかしたらクロスビーがクラリネットか何かで参加しているインスト曲なのかと思ってしまったほどである。さほど長い曲ではないものの、それでもクロスビーのヴォーカルをたっぷり堪能した気にさせてくれる。不思議なものだ。日本では "月光値千金"のタイトルでヒットした。この邦題、蘇東坡の「春夜詩」が出典だとか。有名なのはやはり、エノケンこと、榎本健一による歌唱だろう。

Sandy Denny "Full Moon" 

これは満月。サンデイ・デニーは、ブリティッシュ・フォーク・ロック・バンドの草分け、フェアポート・コンベンションの伝説的リード・シンガー。ロック・マニアなら、レッド・ツェッペリンのタイトルのない4枚目のアルバムに収録された "The Battle of Evermore" でのロバート・プラントとの掛け合いヴォーカルが印象に残っているかもしれない。もともと民族音楽やトラディショナル・フォークへの志向が強かったツエッペリンとデニーとの相性はいい。それにジミー・ペイジとは、アート・スクール時代の「学友」でもあった。

10cc "Honeymoon with B Troop" 

10ccといえば"I'm not in Love"かもしれない。ただ"I'm not in Love"が収録された一般的評価が高いアルバム「オリジナル・サウンド・トラック」は、あまり好きではない。このアルバムの中心メンバーだったロル・クレームとゲヴィン・ゴドレイが脱退した後の10ccの方がしっくりくる。"Honeymoon with B Troop" もゴドレイ&クレーム以降の曲だ。途中、メンデルゾーンの「結婚行進曲」が引用されている。作曲者でメンバーの一人、グレアム・グールドマンは、最近TVドラマの主題曲としてリヴァイヴァルした"Bus Stop"  (演奏はホリーズ)の作者でもある。ハネムーンという言葉はなんともロマンチックではあるが、ハネムーンの月は月球ではなく1ヶ月の意味。古代ゲルマン民族では、結婚後30日間、蜂蜜酒(mead)を飲んで子づくりに勤しんだことによるという説もある。

Bruce Cockburn "Waiting for the Moon"

日本でのブルース・コバーンの知名度はさほど高くはないけれど、故国カナダでは「国民的歌手」である。この曲では目立たないが、ギターの腕もなかなかのもの。ずいぶん昔、デヴューしたばかりの頃に知って、彼の2枚目のアルバム「High Winds, White Sky」(1971)をジャケ買いした。特にキャッチーでもポップでもないのに、タイトルそのままの冬枯れた雰囲気のアルバムを何度も何度も聴き続けたことを憶えている。"Waiting for the Moon"はすなわち「月待」。ひたすらに月の出を待ちながら、眼に映る情景、あるいは心象風景が歌われる。

 

草野道彦(くさのみちひこ)

雑想家、図像コレクター。奥州雫石に生まれ、信州伊那で育つ。図像学は荒俣宏に師事。某アマチュア・ロックバンドでエレクトリック・ベースを担当。