空っぽの月
23|喰うか喰われるか
月が太陽を喰うのが日蝕で、月を地球(の影)が喰うのが月蝕である。古代の中国では、蝕は天狗(アマツキツネ)が起こす現象だとされ、日本でも天岩戸の神話に象徴されるように、かつてはかなり恐れられていた。江戸時代にも、皆既日蝕で将軍が病気になったという記録がある。蝕はまた、太陽や月が人間の代わりに病気になってくれたものともされる。月蝕では、その日の月には毒があるので早く家へ帰れとも、月蝕時に大風が吹くと流行り病が起こるとも、または月の涙が落ちて当たると病気になるともいわれてきた。「月の涙」がどんなものかは定かではないが、まあ夜露の類だろう。月蝕とは直接関係がないが、「月のお下がり」というものもあり、古くから知られていた。ここでの「お下がり」は、「ウンコ」のこと。その正体は、「ビカリヤ(Vicarya callosa)」という巻貝の化石がそのままオパールや瑪瑙となったものである。それにしても「月」と「ウンコ」の組み合わせ、意外なようでいて、どこか似つかわしくも思える。
『山海経広注』より中国の「天狗」。
「月のお下がり」。
Pink Floyd "Eclipse"
このプレイリストでは唯一、タイトルに「月」も「Moon」も「Luna」も含まない例外曲。"Eclipse"は「蝕」一般を指すが、歌詞に「太陽が月に喰われる」とあるので、日蝕を歌ったものだ。収録アルバムは、言わずと知れた「ザ・ダークサイド・オブ・ザ・ムーン」。だから、アルバム全体のテーマも「月」ということになる。ただし月を連想させる曲のタイトルは、この"Eclipse"だけ。発表時の邦題は「狂気」だったけれど、何を慮ってのことか、いつの間にかカタカナ表記が正式邦題のようになってしまった。「The Dark Side of the Moon」の意訳として、「狂気」は悪くなかったと思う。
Pentangle "Moon Dog"
"Eclipse"のエンディングの心拍音に、 "Moon Dog" イントロのパーカションを続けてみた。ムーン・ドッグは、前回紹介した、月が大気中の氷晶による屈折の加減で複数に見える現象「幻月」の英語表現。ただし本作のムーン・ドッグは、アメリカの盲目のパーカショニストで、伝説的なストリート・ミュージシャンの名前である。本名はルイス・トーマス・ハーディン。この曲はペンタングルのアルバムに収録されているが、ドラムとパーカションを担当しているテリー・コックスがただ一人で録音した、ムーン・ドッグへのオマージュ・ソングである。ペンタングルはその名の通り5人組で、ブリティッシュ・トラッドをベースに、ジャズやクラシックの古曲などの要素を取り入れたサウンドが特徴。体調の加減か気持ちの加減か、積極的に音楽を聴きたいと思わない夜なども、なぜかペンタングルとそのギタリスト、バート・ヤンシュだけは、なぜか心に染み込んでくる。
Fairground Attraction " The Moon Is Mine"
ペンタングルと並んでブリティッシュ・トラッドの魅力を教えてくれたバンドが、フェアポート・コンベンションだ。あえて言うなら、前者がジャズ風味、後者がロック風味のサウンドである。ここで紹介するフェアーグラウンド・アトラクションというバンド名は、フェアポート・コンベンションを意識したものなのだろう。" Perfect"がヒットしたこともあって、日本の音楽シーンにもけっこうな影響を与えた。フェアポート・コンベンションよりだいぶ洗練された、というかお洒落なサウンドだった。エリオット・アーウィットの写真をジャケットに使ったスタジオ・アルバム「ファースト・キッス」1枚だけ残して解散してしまった。このアルバムには月をテーマにした作品が2曲収録されていた。もう1曲は"Moon on the Rain"。
Tom Waits "Grapefruit Moon"
トム・ウエイツを初めて聴いたときは、驚いた。うっかり下手くそな歌手だと思ってしまった。その声質と歌い方は非常識だとさえ感じた。ありがちなことではあるが、それがいつの間にか癖になり、なくてはならないものになっていった。デヴュー・アルバムに収録されたこの"Grapefruit Moon"に至ってはもう、スタンダード・ナンバーにさえ聴こえてしまう。月をグレープフルーツに譬えるのも、当初はちょっと無理矢理かと思ったが、これもいつの間にか、適切な表現に感じられるようになっている。
草野道彦(くさのみちひこ)
雑想家、図像コレクター。奥州雫石に生まれ、信州伊那で育つ。図像学は荒俣宏に師事。某アマチュア・ロックバンドでエレクトリック・ベースを担当。
< 22|見せかけの月 と を読む