空っぽの月


24|亜墨利加の月


 
 

国内ならば、都道府県単位では、佐賀と長崎と青森以外は訪れたことがある。海外では、イギリス、アイルランド、フランス、ドイツ、イタリア、インド、インドネシア、韓国、ニュージーランドに行った。ほとんどは仕事がらみでの滞在だ。どこでも税関以外では、ことさら嫌な思いをしたことがない。移住してもいいな、とも思った。せいぜい一週間か十日ほどの滞在であるし、旅行者としての体験だから、実際にどんなお国柄であるかということでは、あまりあてにならない。夜空では、マーティンボロ(ニュージーランド)と根釧原野の月が、とりわけ印象に残っている。
アメリカ合衆国には足を踏み入れたことがないし、踏み入れようと思ったこともない。いろいろ好きな音楽や映画がありながら、アメリカという国にはどこか馴染めない。国や地域が変わっても夜空の月の表情はさして違っているわけもないのだが、アメリカの月というと、満月に向かって遠吠えするコヨーテという、なんとも月並みで貧相なイメージしか思い描けない。

Sting  "Moon Over Bourbon Street"

ポリスが活動休止した後の、スティング初のソロ・アルバム「ブルー・タートルの夢」からの一曲。もちろんスティングはイギリス人だが、このアルバムに漂う雰囲気はアメリカ、それもニューヨークの街角を連想させる。ただしバーボン・ストリートはニューオーリンズの歴史的な通りの名。夜の街である。スティングは2016年になってアルバム「ニューヨーク9番街57丁目」を発表している。こちらはまごうことなくニューヨークがテーマだ。

The Beach Boys "The Surfer Moon" 

これはもう、アメリカ西海岸そのものサウンド。ジョージ・ルーカスの出世作「アメリカン・グラフィティ」では、登場人物に、「ザ・ビーチ・ボーイズは子どもの音楽だ。ロックはバディ・ホリーの死とともに終わった」などと言わせている。バディ・ホリーはザ・ビートルズにとってもアイドル・ミュージシャンだった。ザ・ビーチ・ボーイズのアルバム「ペット・サウンズ」に刺激を受けたザ・ビートルズが、かの「サージェント・ペパーズ……」を完成させたというのは、有名な話。ロックが終わったかどうかはともかく、ザ・ビーチ・ボーイズがロックを大胆に変容させたことは、事実だろう。

Jon Cleary and The Monster Gentlemen "Moonburn" 

ジョン・クリアリーの音楽は、ごく最近、ラジオ番組で知った。昨年最大の収穫である。スティングが憧れたニューオーリンズそのもののグルーヴを紡ぎ出すミュージシャンだ。とはいえJ・クリアリーも、出身はロンドン。17歳で渡米して、ニューオーリンズを中心に活動を続けている。ともかく彼と彼のバンド、アブソリュート・モンスター・ジェントルメンは、リズムが凄い。特段技巧に走っているわけではないけれど、ちょっとやそっとじゃ(いや、絶対に)真似することは不可能である。

Creedence Clearwater Revival "Bad Moon Rising"

クリーデンス・クリアウォータ・リバイバル(通称CCR)は、ほぼジョン・フォガティのワンマン・バンド。70年代初頭にかけてヒット曲を連発し、ポリスなどとともに一時はポスト・ビートルズなどとも呼ばれた。ザ・ビーチ・ボーイズと同じカリフォルニアのグループだが、サウンドは対極にある。カントリー・ミュージック風味が強く、泥臭い。個人的には一部のカントリー・ミュージックは、日本の艶歌めいた鬱陶しさがあるので、あまり聴くことはない。ただ、それはロックのルーツの一つであるし、さらにそのカントリー・ミュージックのルーツの一つは大好きなケルティック・トラッドであるのだから、無視するわけにはいかない。シンプルで荒削りなCCRを、結構な頻度で聴きたくなるのも、そのせいかもしれない。

 

草野道彦(くさのみちひこ)

雑想家、図像コレクター。奥州雫石に生まれ、信州伊那で育つ。図像学は荒俣宏に師事。某アマチュア・ロックバンドでエレクトリック・ベースを担当。


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