空っぽの月
25|月の噂
昔からあった言い方だが、「陰謀論」という言葉が気になる。生成AIによる画像とともに、確かに怪しげな言説も多く見受けられるが、かつて「非国民」や「アカ」の一言で、世間の「常識」に異を唱える考え方を封殺し、排除していたような使われ方がときおり目につく。似たようなものに「都市伝説」がある。こちらは政治や経済にあまり関係がないだけ、やや牧歌的だ。たとえば「トイレの花子さん」や「口裂け女」、「消えるヒッチハイカー」や「下水道のワニ」のような話である。「都市」とは言いつつも、そのオリジナルは、昔からの伝承にあったりもする。「ポール・マッカートニー死亡説」のように、著名人にまつわるものも少なくない。
月に関係する都市伝説では、「アポロ宇宙船による月面着陸は捏造だ」とするものが有名で、舞台を火星に移した映画「カプリコン・1」まで制作されている。
Cat Stevens "Moonshadow"
キャット・スティーヴンスはイギリスのミュージシャン、本名スティーヴン・ジョルジオ。カシアス・クレイが、モハメド・アリを名乗るようになったように、イスラム教に改宗するとともに、ユスフ・イスラムに改名、以降は慈善活動に専念した。9・11アメリカ同時多発テロを激しく批難したにもかかわらず、その名前と噂を根拠に「テロを支援している可能性がある」とみなしたアメリカ政府は、当時在米していた彼をイギリスに強制送還している。
"Moonshadow"は改名前の作品だが、「土地を、手を、足を、目を失った自分」がテーマとなっている。ちょっと暗示的だ。
Elvis Presley "Blue Moon of Kentucky"
エルヴィス・プレスリーは、言わずと知れたロックの大御所であり、ザ・ビートルズやレッド・ツェッペリンも「尊敬」していた。とはいえ、個人的には初期の活動をリアルタイムに知らないこともあって、あまり好んで聴くミュージシャンではなかった。
"Blue Moon of Kentucky" の作者は、ブルーグラス歌手のビル・モンロー。多くのミュージシャンにカヴァーされている。あらためてプレスリー版を聴くと、やっぱりエルヴィスは凄かったと納得せざるをえない。歿年は1977年。42歳というその早すぎる死もあって、エルヴィスは「伝説」となった。
Lindisfarne "Elvis Lives on the Moon"
ある調査によれば、アメリカ国民の10%近くが、エルヴィスがまだ生きていると信じているそうだ。さらには、「宇宙人にさらわれた」、「人面魚といっしょに泳いでいた」などという目撃譚も流布している。「実は、エルヴィスはいまも月で暮らしている」とする都市伝説も、いっときかなり流行していた。
リンディスファーンは、イングランドの小島の名前。「リンディスファーンの福音書」は、「ダロウの書」「ケルズの書」とともに三大ケルト装飾写本として知られている。この小島、あるいは福音書に由来する名称を冠したバンド、リンディスファーンは、そこそこヒット曲もある英国のフォーク・ロック・バンド。この曲は、「プレスリー生存伝説」をそのままタイトルにしたもの。ユリ・ゲラーやノストラダムスやツタンカーメンなどの「その手」の人名も登場する。
Mary Black "Once in a Very Blue Moon"
初めて仕事でイギリスに行ったのは、まだCDが普及しはじめた頃だった。仕事の合間にレコード・ショップをまわり、かなりの数のアルバムを入手した。とはいえアナログ・レコードではかさばるので、カセット・テープで購入。インクレディブル・ストリング・バンドのメンバーのソロ作品、フェアポート・コンベンションやXTCの新譜、アイルランドのミュージシャンのコンピレーション・アルバム「Jali House Rock」(このタイトルは、アルフレッド・ジャリにこと寄せたプレスリーの"Jail House Rock"のパロディ)、そしてメアリー・ブラックの初期のアルバム等々だった。ほとんどがいわゆるジャケ買いだったが、とくに、アメリカの女性フォーク歌手にはない響きを持つメアリー・ブラックの歌声とケルト民謡に魅せられ、後には発売されると同時にメアリーのCDを手に入れるようになった。ケンタッキーとはおもむきのまったく異なるこの「青い月」の歌を、何度聴いたことだろうか。
草野道彦(くさのみちひこ)
雑想家、図像コレクター。奥州雫石に生まれ、信州伊那で育つ。図像学は荒俣宏に師事。某アマチュア・ロックバンドでエレクトリック・ベースを担当。
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