空っぽの月
5|似而非物語
稲垣足穂と山本周五郎は、個人的に大きな影響を受けてきた作家だ。足穂からは、いかに考え、何を書くべきかを、周五郎からは、いかに感じ、何を書かないでおくべきかを教えられた。不甲斐ないことに、その教えはあまり身についていない。その二人に、同じ「似而非物語」というタイトルの小品がある。この「似而非」の語源がよくわからない。似て非なるものということではあるのだろうが、「エセモノ」とは何のことか。「偽物」ならば「似せたもの」ということで納得できる。似たような言葉に、関西の「バッタもん」がある。こちらは「バタバタと勢いよく投げ売りされるもの」という意味らしい。こういうものは、「もどき」や「見立て」や「本歌取り」とどこかで連続している。ガンモドキも、鳥肉の「丸(ガン)」、あるいは「雁」の似せものだったのに、いつの間にかそれ自体の味や趣きを主張するようになった。すでに鳥肉に似ていようが、似ていまいが、どうでもよくなっている。という具合に、似而非物が、オリジナルにはない価値を持つということも、ままあるようだ。
Ella Fitzgerald & Delta Rhythm Boys “It's Only A Paper Moon”
映画「ペーパー・ムーン」は、J・D・ブラウンの小説「アディ・プレイ」が原作で、映画の方も当初は小説と同じ題名だった。ボグダノビッチ監督がこのタイトルを気に入らなかったので、友人のオーソン・ウエルズに相談し、映画の挿入曲だった “It's Only A Paper Moon”からタイトルを拝借することにしたという。テイタム・オニールが写真館で紙製の月に乗るシーンは、後から付け加えられたらしい。その後、原作小説のタイトルも「ペーパー・ムーン」に改変された。
ペーパー・ムーンとは、映画に登場するように、写真館の記念撮影用の背景の一つ。偽物の月であることから、「まやかし」を意味するようになった。主人公が詐欺師である映画には、なるほどふさわしいタイトルになったわけだ。
“It's Only A Paper Moon”をカバーしているミュージシャンは、それこそマイルス・デイヴィスから桜田淳子まできりがない。ここでは直球勝負で、エラ・フィッツジェラルドを選んだ。
Prince & The Revolution “Under the Cherry Moon”
月のような紙細工の次は、サクランボのような月である。サクランボといっても佐藤錦のような月ではないだろう。ダークチェーリーの月が、プリンスにはお似合いである。プリンス自身もかなりいかがわしく、どこかまやかしめいている。それでもというか、だからこそ、とかく比較されることの多いマイケル・ジャクソンより、プリンスの音楽の方に強く惹かれる。この曲はプリンスが監督した同名映画のテーマ曲。曲の方はそこそこヒットしたものの、映画は酷評された。アカデミー賞授賞式前夜に「最低映画」を発表するゴールデンラズベリー賞では8部門にノミネートされ、最低作品賞ほか5部門を受賞している。ミュージシャン、特に才気あふれるというタイプのミュージシャンが映画に手を出すと、なぜか駄作になることが多いようだ。ちなみにこの映画も「ペーパー・ムーン」も、モノクロームで撮影されている。
Eric Clapton “Cajun moon”
ケイジャンは、米国ルイジアナ州に定住したフランス系移民。ケイジャン料理では「ジャンバラヤ」や「ガンボ」が有名で、我々がイメージするフランス料理のイメージとはかなり遠い。もともとはフランス庶民の日常食なのだろう。「ジャンバラヤ」も「ガンボ」もアコーディオンとフィドルを中心に演奏されるダンス音楽であるケイジャン・ミュージックの名曲の歌詞に織り込まれている。ただしJ・J・ケールによる、“Cajun moon”は、それほどケイジャン・ミュージックらしくない。歌詞もけっこう不吉である。ここで紹介するのは、2013年に逝去したケールにエリック・クラプトンが捧げたオマージュ・ヴァージョンである。
かつて日本では、三大ギタリストとして、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジとともにクラプトンの名が挙げられるのが常だった。いずれもザ・ヤードバースに在籍したことがあることから、並べて論じられたのだろう。
ジェフ・ベックとジミー・ペイジがときとして破綻に向かうような弾き方をするのに対し、ある時期以降のクラプトンのそれはいつも安定しているように聴こえる。ウエルメイドで小綺麗な印象もある。そのせいか、特に日本においては女性ファンの数は、他の二人よりも圧倒的に多い。初期にはブルースの簒奪者とかモノマネ・ブルースとか謗られたことはあっても、結果としてクラプトンのスタイルが多くのギタリストに真似されて広まり、クラプトン風の音色が耳に馴染みすぎたため、普通に聞こえてしまうようになったのかもしれない。その風貌もギタースタイルのように安定して、人格者のように見える。しかし当人の人生は、破綻の連続だった。親友であるジョージ・ハリソンの妻、パティ・ボイドと不倫の末に結婚、その後はヘロインの過剰摂取や重度のアルコール中毒で再起不能を囁かれた時期もあるくらいだ。幼い息子も事故で失っている。だからこそのギタースタイルなのかもしれないし、そんなことは全く関係ないのかもしれない。人生と音楽、なかなか一筋縄ではいかない。
草野道彦(くさのみちひこ)
雑想家、図像コレクター。奥州雫石に生まれ、信州伊那で育つ。図像学は荒俣宏に師事。某アマチュア・ロックバンドでエレクトリック・ベースを担当。
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