旬画詩抄|佃 一輝

2|筍 竹になる


 

幽人 筍を焼くを嗜(この)む
土を出でて 長(たけ)るを容(ゆる)さず 

 いま筍は三月四月となって、すっかり春の味覚になったけれど、それでも季語は夏。立夏を過ぎた五月はじめが似つかわしいものではある。かつては五月の煎茶会などに、よく飾ったものだ。もちろん子の成長を言祝ぐ吉祥の意だから、端午の節句、子どもの日の季節感にフィットしたわけだ。ところが今はどうも五月の筍では、遅きに失した感は否めない。旬のはしりを追いすぎるのか、あるいは温暖化のせいなのか。
 もっとも筍を飾って子孫繁栄とするのは、思いのほか日本人の思い付きかも知れない。中国の文人たちに、そうした飾りは少ないようだ。筍は子孫の生育を願う前に、まず「食べろ」が文人の合言葉だ。はじめにあげた詩は、元末の動乱に生き、明初の粛清に刑死した高啓の「筍を焼く」の冒頭二句。世捨て人は、筍が土から顔を出すやいなや、まず焼いて食べるものだという。同じような言い回しは中唐の李賀にもあって

更に容さんや一夜千尺を抽(ぬきん)で 
池園の数寸の泥に別却(べっきやく)するを 

と、一夜にして大きく伸びるのを許さず、早ややかに食べよと言う。筍は理屈よりも、ともかく美味しく食べるに如くはない。

 さて短冊に筍一本を描いたこの絵、今では知る人もない川俣公邨という人の描いたもの。おそらく大正末年か昭和の初めであろう。久々に掛けてみて、さてどう考えるべきか、はたと困ってしまった。一本だけの筍。しかもまっすぐに成長していない。何かを避けたように斜めに出て、それから直上したかと思いきや、一度痩せている。勢いよく成長する生命の輝きを描いたものとは、これでは決して言えまい。もとよりここまで伸びては食べるわけにもいかない。いったい何が描きたかったのか。かてて加えて不可思議なのは署名落款の位置だ。筍の伸びる方向、右上に鎮座している。普通ならば筍の左下にするべきだろう。この場所ではものの見事に成長を止めているではないか。今日では名を知る人がないからと言って、技量が劣るゆえの放漫な落款だというわけにもいくまい。あくまで確信犯的な署名位置のしわざに違いないのだ。
 短冊や色紙は、多くの場合挨拶がわりに描かれたものだ。これも絵描きご本人が当家に持参されたものだろうか。それにしては、あまりお目出たい気のせぬものだ。美味しくもなさそうで、むしろちょっと酷い。すると考えられることは、煎茶会席上での即興作かも知れないということだ。昭和初期まで煎茶会で揮毫することは頻繁に行われていたものだ。そういえば落款はきっちりと押されていず、下が安定していない風だ。何か筍をテーマにした煎茶会、文会の場で描かれたもののようにも思えてくる。そう見てとると、煎茶を飲み酒を舐め、筍を頬張りながら短冊片手に絵筆を走らす姿が髣髴としてきた。いいご機嫌で、たがが緩んで、思わず本音が出たというべき絵か。なかなかに含意が在りそうだ。
 落款を左下に治めるなら、筍は客観描写となって普通の「絵」だ。生えた筍を描きました、となる。ところがこの右上の位置ならばひどく主観的で、筍と作者が一体になっている。この筍は「私」ですというのか。あるいは痩せて曲がりながらも伸びる筍に、「がんばれ」と声を掛けているようにも見える。いずれにしても、この痩せた筍に思い入れたっぷりだ。そういえば北宋の李叔興の詩にこういう文句がある。

籬(まがき)を過ぎる新笋(しんじゅん) 竹に成らんと貪(むさぼ)り 
同根の未だ泥を脱せざるを管せず 

 籬のところから出た筍は、ひたすら竹になろうとして、ほかの筍がまだ泥から抜け出ていないのはお構いなしに伸びようとしている、と。生まれでようとしたところは土ならぬ籬。その隙間から曲がってでも出て、取られたり切られたりする前に、早く竹になってしまおうとする切実な思いの一本の筍。他のやつなどかまっていれない。籬の筍を見る詩人の目は、そのまま自分の生き方とかかわっている。自分がこの筍なのか。自分を放っておいて曲がりながらも竹になろうとするやつを見ているのか。はたまたそんながむしゃらな筍のような者を見守る自分なのか。自他いずれにせよ、のっぴきならず辛い世渡り。
 この短冊の作者もまた、そうした思いを投影しているのだろうか。同席の人々は、おそらくは吉祥の筍を描いたのだろう。彼ひとり、ひそかに屈折の情を筍に託したものか。自分はこの筍だというのか。はたまたそんな筍を慈しむ自分なのか。

今更に何生ひ出づらむ竹の子の
憂き節しげき世とは知らずや
凡河内躬恒(『古今集』)

 この歌となると個人の問題ではなくなる。人の世そのものが「憂き」で、ウクライナを思うまでもなく、常にもがもな、と嘆じたくもなる。この歌、後に源氏物語の「蓬生」に

竹の子のよのうきふしを

と引かれて、なかなかに暗い。それでも生きて伸びていくのが人の世に違いはないと思うならば、この短冊絵、人の世へのエールともとれそうだ。ともに伸びんとする落款位置か。
 籬にじゃまをされずとも、道なかに出たならば、早々に掘り取られる運命が筍だ。門の前に出たならば、なおさら取らねば困りものだ。誰も通るに通れない。

無数の春笋 満林に生じ
柴門 密に掩(おお)ひて 人の行くを断つ
会(かならず) 須(もち)ひむ 上番の竹と成るを看(み)ることを
客至りて従嗔(じゅうしん)するも 出で迎へず

 杜甫は「三絶句其三 春笋」にこう云う。自分の家の門前に出た筍。竹になるのを見よう。客が通れないと怒りだしても、出迎えなどしてやるか。困りものの道の筍。竹にして引きこもりをきめこむ。世の憂き節を逆手にとって、会いたくもない世間と隔絶宣言。じゃま者はじゃま者どうし、とアイロニカルに詠っている。その分、思いのほかに明るい。
 ともあれ筍は美味しいうちに食べることだ。伸びたならば、曲がろうが痩せようが邪魔にになろうが、まもなくの夏の陽射しに、玉のような美しい青が映えて、風が爽やかに通るのを楽しむことになる。

 

佃 一輝(つくだいっき)

一茶庵宗家。著書に『文人茶粋抄』『煎茶の旅〜文人の足跡を訪ねて』『おいしいお茶9つの秘伝』『茶と日本人』(2022年3月新刊)などがある。


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