旬画詩抄|佃 一輝

4|ほととぎす 鳴きつる方


 

  ほととぎす 
  鳴きつる方をながむれば
  ただ有明の月ぞ残れる   

 藤原實定

 ホトトギスが夏の鳥であることを知らぬのは、むしろあたり前の今日この頃。まして有明の月と言われてもロケーションもシチュエーションも浮かんでこない人が多かろう。佐々木信綱の歌詞による

  卯の花の匂う垣根に 
  ほととぎす早やも来鳴きて 
  しのび音もらす夏は来ぬ

などという唱歌を歌える世代は、高齢者でも後期に属しつつある。

  目に青葉 山ほととぎす
  初かつを  

素堂

とくれば夏のホトトギスがイメージしやすくなる。新緑に鳴く鳥。新緑のころにやってきて、秋の立つころには旅立つ暑いさかりの鳥なのだ。その夏の短か夜の明けるころ、「テッペンカケタカ」とのひと声に空を見上げるならば、すでにホトトギスの姿は見えず、ただ有明の、つまりは夏の暁に薄く残った月ばかりがあった、というわけだ。平安時代だから「トッキョキョカキョク」とは鳴かない。

 さて昭和初期に杉野僲山が画冊に描いたこの絵、「百人一首」にも載る後徳大寺左大臣實定のこの名歌を踏まえたものであることは、ちょっと前なら一目瞭然だったものだ。もう一枚の梅村香堂の作品も同じ画題。いずれも黎明のまだ暗い樹々の上を、それとわからぬほどの大きさの鳥のようなものが飛んで、月がかかっている。この二枚を、いろいろなところで人に見せてみると「夕暮れに鳥が巣に帰る図で季節は秋」説が大半だった。「鳥はカラスかな、ハトかな」説となる。たしかに和歌とリンクする絵画というのは、現代人には異世界にすぎるのだろう。

 さはさりながらホトトギス。やはり夏になくてはならぬ旬の鳥だ。ホトトギスを時鳥と書くのは、田植え時を知らせる鳥の意だ。雨にホトトギス。

  ほととぎす 
  鳴くやさつきのあやめ草 
  あやめも知らぬ恋もするかな

 読み人しらず

時鳥の鳴く五月雨の季節、梅雨。雨に咲くあやめ。そのあやめ=綾の糸目がわからないような、糸筋の見えない恋をしていると、「先行きの見えぬ恋」のつらさを詠うのがこの歌。五月雨もまた先の見えぬほどに降りしきる。白雨である。

 白雨にあやめで「先行きの見えぬ恋」「つらい恋」、つまりは不倫を寓意しているのだが、実はホトトギスそのものがまた、「つらい恋」「先の見えぬ恋」「不倫」にかかわっている。時は伝説の古代、長江文明のはじまりに遡る。今の四川省、蜀の地に望帝という君主がいたのだそうだ。蜀といっても三国志、魏呉蜀の蜀ではない。黄河文明ならば堯、舜、禹にもあたろうかという古代伝説時代の巴蜀の地である。この望帝、一説ではもともとホトトギスで、人間になっている時は望帝として暮らしていたという。本名を杜宇という。なかなかに立派な治世であったというが治水に失敗する。そこで鼈霊(べつれい)という男を雇うと、見事にやり遂げた。一説にこの鼈霊は、亀が人間になっているときの名だというのだから、治水はお手の物だったのだろう。治水工事中、家には美しい妻が残されていた。

 自らでは治水に成功出来ず、自信喪失失意の望帝杜宇と、ひとり残された鼈霊の妻は、慰めあううち、やがて割りなき仲となって離れがたき仕儀となる。そこで鼈霊を亡き者にしようと企めばサスペンス劇場だが、そこは古代の君子、大いに反省して自らの不徳を嘆いて、さらに心は落ち込むことになる。もはや国を治める徳はないと位を鼈霊に譲って、「縄張りを捨て国を捨て、可愛い鼈霊の女房とも離れ離れになる門出だ」と相成る。もちろん「ホトトギスが南の空に飛んで行かぁ」と、亡国流浪失意のうちに果ててしまう。国にも鼈霊の妻にも、断ち切れぬ未練たっぷりのままに。死してのち魂は再びホトトギスとなって、「帰りたい、帰りたい、でも帰れない、帰れない」「帰るにしかず、帰るにしかず、不如帰、不如帰」と四川語で啼き続けることになった。哀れなる不倫未練の恋物語。ホトトギスを不如帰、杜宇、杜鵑、杜魂、蜀魂などと漢字で書くのはこれによる。加えてホトトギスの口の中が真っ赤なのは、もとより血を吐くほどの思いのたけなのだ。「鳴く音(ね)血を吐くホトトギス」の思いは、おそらく「さざんかの宿」よりも狂おしい。

   

   望帝春心托杜鵑
   望帝の春心  杜鵑に托す

   ・・・

   此情可待成追憶
   この情 追憶なすを待つべけんや
   只是当時已惘然
   ただこれ 当時すでに惘然

  李商隠「錦瑟」

 ホトトギスに托した望帝のような つらい恋心はあの人の思い出にあるのだろうか
 いやあの人といたころ、もうすでに始まっていたのだ。

 山田秋坪の手になる波を渡るホトトギスの絵は、必死の形相で尾羽打ち枯らして波濤を越えて飛ぶ。もちろんこの伝説の絵画化で、夏の風情を表すのではもちろんない。波は治水できぬ岷江の水。満たされぬ恋か、つらい流浪の人生か、画家の情が色濃くにじむ。濃い情ばかりの絵といってもよかろう。ホトトギスを用いた主情主義の絵画表現。南画、文人画の典型といってよいのだろう。

 さてこうして伝説を踏まえてみると、後徳大寺の歌もまたなかなかに激しい。平安時代の常套として、男が女の気持ちになって詠んだのだろうから主人公は女性だろう。ホトトギスの鳴き声に有明の月ばかりを見た女。もとより妻問ひに訪れる男を、一晩中まっていたのだ。しかし来ない。はや夜明け。女は鼈霊の妻のように、通ってくる男を待ち続ける。だが男は来ない。その男の声のように夜明けに響くひと声。「不如帰」。「君のところには帰れない」と。姿も見えぬ「しのび音」。重く狂おしい歌物語。

 すると先ほどの杉野僲山と梅村香堂のふたつのホトトギスに月の絵は、実はせつなくも狂おしい恋が潜んでいるのだろうか。あたかも夏の風景描写に見せて、歌を暗示して語る「つらい恋」の絵。いまひとつ梅村香堂の、こんどは墨彩の一幅を見てあげておこう。こちらはまことにあっさりと樹々とホトトギスだけが描かれて、下の方はほとんど筆が省かれている。見る人が勝手に想像しろというわけだ。大坂画壇にことに顕著な省筆表現のひとつといえる。省かれた下方に水を感じれば、夏のさわやかな池辺となるし、田んぼを思えば田植え時となる。描かれぬ月を見てとれば後徳大寺卿の歌となり、雨を感じればあやめも知らぬ恋ともなろう。爽快か血を吐くか、あなたまかせのホトトギス。こうして投げ出されてみれば、人により日により、想像たくましくして語り合えるというもの。実は文人茶のサロンには、うってつけの絵画といえる。ともあれ現代人が思いも及ばぬ絵と文学と伝説のコラボレーション。想像力をたくましゅうするホトトギスの悲恋。

 

佃 一輝(つくだいっき)

一茶庵宗家。著書に『文人茶粋抄』『煎茶の旅〜文人の足跡を訪ねて』『おいしいお茶9つの秘伝』『茶と日本人』(2022年3月新刊)などがある。