泥遊び 筆遊び|加藤静允


13|梅の香り


 

加藤静允 作

 洛北比叡山麓の私の住居から北へ五里ほど、花折峠を越え安曇川に沿って下ること二里半、旧朽木村・栃生に私の小さい山小屋があります。東面した小高い山田の五六枚上の二枚、東に武奈ヶ嶽を仰ぐ明るく気持ちの良い場所です。若い頃からの夢の一つ、小さな流れの傍の小さな部屋、鳥の声と風の音、夜になり燈を消せば人工の光は全く見えず、天空の星だけが仰げる……、その想いを叶えてくれたのが中乃家主人・中家孝司さんでした。
 朽木村産の材だけを使って、炉辺の坐と二畳の読書部屋、五右衛門風呂。想ったよりも更にうれしい小屋を建ててくれたのは大工の水口一雄さんです。二畳の小部屋に二百年のすす竹の床柱などを立てて。この40年よくよく楽しませてもらいました。ごく稀に親しい友と一緒に行く時は囲炉裏で山田のお米を小一時間炊きつづけるうすいお粥と焼味噌だけがおもてなしでした。そう、その後に一服のお茶は点てて進ぜます。
 小屋のある所が気象学上日本の豪雪地帯の最南端点だと聞いたことがあります。確かに冬はよく雪が積り、急傾斜に設計した屋根から落ちた雪が北と南側には六尺余も積もります。東と西の入り口からはなんとか出入ができるのですが。
 小屋が出来た頃は東崖下の安曇川でよいアユ釣りができました。しかし、この10年、川は荒れて8割方死んでしまった様になりました。日本のほとんどの河川が半死の状態になってきています。これを細かく書き出すと政治がらみになるので書きません。もう老耄の私は一日一日をすべて「ソレデイイノダ!」と生きているのです。薬も全く不用(要)です。強い痛みに襲われた時だけは十分量の痛み止めを使ってもらうように頼んであるのですけれど。

 ともあれ旧朽木村は私の夢の世界・癒しの場所だったのです。想い返せば楽しいことうれしいことが一杯ありました。その一つ、いつも年の暮れになると小屋の恩人・中乃家さんにご挨拶に参上します。そして、帰りには必ず奥さんに紅梅と白梅の大きな枝を切ってもらって帰るのです。それぞれの枝には小さな小さな固い蕾がついています。こんなのが咲くのかなあと思うほど固く小さいのですが、それが温かい部屋に生けて、時々水を換えていると1月の20日すぎ、旧のお正月の頃になると、遅速はあるもののボチボチと咲き始めて、部屋に入った時フウッとよい香りがするようになるにです。
 忙中の閑、開き出した花をじーっと見詰めて、紙と筆を出して、崋山先生の気分になって、コマカク、コマカク写します。紅梅の芯や花弁・萼の黄はともかく緑のあり様に感じ入りつつ描いたのを覚えています。
 中国絵画には気になる梅の絵がいくつかあります。一所懸命にその雰囲気をうつしたことがありましたが、全く駄目でした。「ヤッパリ人間ガチャウンヤ、時代ガチャウンヤ」と諦めたのです。守屋正先生愛蔵の羅聘(らへい)の梅の絵、行く度にいつもねだって、掛けてもらったのを想い出します。今は大和文華館に入ってしまいましたが。

 泥遊び、染付やあと絵では梅の花をよく描きます。最も簡単に描いて、見た人が、フッと匂いを感じるようなものが出来るとええのになあと思うのですが。


加藤静允(かとうきよのぶ)

京都生まれの小児科医。鮎を釣り、書画を好み、陶芸をたのしむ。すべて「ソレデイイノダ」が最近の口ぐせ。細石は少年のころ井伏鱒二にあたえられた釣人の号。